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生態観測2

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「おい。こら、起きろ!」
 ハイウェイを南へと向かうピックアップトラックを運転席しながら、ホル・ホースは苛立った声をあげた。まだ夜明けの色を残した朝日が差し込み、これが輸送便まがいの強行軍でなく、しかも隣にいるのがいぎたなく眠る黄の節制でなく、せめて女性であったなら、なかなか雰囲気のあるシチュエーションだった。
「おい……おい、寝てんじゃねえ。おい!」
助手席で気持ちよさそうに眠っていた節制は、顔中をぎゅっとしかめた後、呻きながら車中でできるかぎり大きく伸びをした。さらに大あくびをして、
「……あーあ、なんでドライブ中に女が寝るのか判ったよ。つまりヒマなんだな、奴らは」
と言った後、追加のあくびをした。
 ホル・ホースとしては、それどころではない。
「ヒマなら運転代わってくれ。どうも後ろがうるせえんだ」
 もう十分以上前から、カーラジオが緊急のニュースを流していた。通常のニュース番組に、ヘリコプターからの中継が緊迫した様子で割って入る。
「おれ朝飯にビール飲んじゃったからなあ。昨夜ずーっと運転してたし」
 節制は目をこすりこすり、関節をあちこちひねってボキボキ音をさせた。
「ビールぐらい、どうってことねえだろうよ」
「飲酒運転で捕まりたくねえだろ? 荷物が荷物だしさ」
「だいたい俺が耐えてるのに、何でおめえが朝から飲むんだ」
「徹夜した自分へのご褒美」
 それは確かにそうなので、彼らは貨物同伴で空港に着いて以来、ずっとトラックを運転し続けている。停まるのは食事と給油のみだ。昨夜一晩は節制の番で、助手席に座ったホル・ホースはいぎたなく眠っていた。
 後方の騒ぎとヘリコプターリポートの興奮がますます大きくなってきた。ヘリの爆音が聞こえはじめ、バックミラー越しに回転灯の光やらサイレンの音すら聞こえてくる。にもかかわらずまたウトウトしだした節制の脇腹を二度三度とつつくと、彼は不承不承に伸び上がって後ろを見た。
 片側四車線の道路の内側二車線が猛スピードで走ってくるパトカーの集団で埋まっている。外側を走る彼らの位置からは、その囲みの中で蛇行する一般車がちらりと見えた。
「お、ホントだ。誰か逃げてるみてえだな。あれがハイウェイパトロールってやつ?」
「サイレン鳴らしてりゃ、お巡りさんだ。組織がいろいろあって、ぱっと見じゃわかんねえんだよ」
「国が広いのも考えもんだね」
「おまえが考えたってしょうがねえ」
 ヘリのリポーターが、また番組に割り込んできた。
『見えてきました……ハイウェイを高速で逃走中です。暴走です! 容疑者はアルコールもしくは薬物の影響下にあると思われ……』
「マジか」
ホル・ホースはうんざり顔で舌打ちした。
『警察車が周囲を取り囲みんでいます……ああ!』
言われるまでもなく、彼らにも判った。紛うかたなき銃声が、はっきりと聞こえたのだ。
『発砲です! 容疑者は銃を所持している模様です!』
 節制はラジオに向かって丁寧に共感を表明した。
「そりゃあ発砲ってったら銃持ってんでしょうねえ」
「安っちい音だぜ。シロウトだな、ありゃ」
 どちらにしろ、このまま外側の車線を走っている分には問題はなさそうだ。節制はシートに沈んで、大げさに首を振った。
「クスリと銃とヤバい人。ぜんぶ行き渡っちゃってるあたり、この国は難儀だなあ」
「おめえんとこも似たようなもんだろうが」
「ここよりゃマシだよ」
言い返した後、節制はちらりと横目にホル・ホースを見た。
「そういやあんた、おクニはどちら?」
 ホル・ホースは答えない。
代わりに手探りでポケットから取り出した煙草に火をつけ、咥え煙草で一吸いして、言った。
「こっちにぶつかって来られちゃぁたまんねえ。一発かましてやるか」
「素直に言っていいんだぜ、ヒマすぎだから一発ぶっぱなしてえって」
「ああ、実ぁ眠くってよ。朝っぱらからバイオレンスも気が利いてるよな」
「イビキかいて寝てやがったくせに」
「一応フォロー頼むぜ」
 あくび混じりに頷いた節制の体から、すっかり見慣れた薄黄色い粘膜が分離していった。フィルムのように薄くなったそれが、トラック全体、とくに積み荷を厳重に包み終わると、ホル・ホールは少し速度をゆるめて、警察車両の壁に並びかけるような位置につけた。
「届くかね、拳銃で」
「届くさ、俺のガンだからな」
警察官達は発砲した容疑者への対応で手一杯で、となりのトラックにはまったく注意を払っていない。車一台を隔てた向こうでは、なにか意味のわからない雄たけびをあげる容疑者の男が全身でハンドルにかじりついている。銃は持っていない。ダッシュボードか、それとも膝の上にでも置いているのか。
 ひょい、と『皇帝』が現われた。
片手にハンドルを握り、誰にも見えないのをいいことに、じっくりと照準を合わせるホル・ホース。脇から節制が面倒くさそうに声をかける。
「前も見てろよ」
「見てる見てる」
この時点で時速92キロ、彼ら以外の誰もが緊張して運転中のハイウェイの風を裂き、見えない弾丸が音もなく飛んだ。ちょうど真横に並んだパトカーを迂回する不思議な弾道を描いて、弾は容疑者の手首を砕いた。血と、骨と、皮膚の混じった飛沫が飛び散る。
 こればかりは意味のはっきりした悲鳴をあげて、それでなくとも蛇行していた容疑車両はコントロールを失った。大きく左にぶれた車体はスピードを維持したまま、まずは中央分離帯の障害物に激突し、その反動で併走していたパトカーのドアに突っ込む。避けきれずにぶつかられたパトカーは車線を超え、ピックアップトラックのほうへと弾き出される。
 放ったと同時にアクセルを踏み込んでいたトラックは、テールに一撃を食らう形になった。が、自動車一台分のスピードと重量は、軽いオモチャかなにかが当たったかのように受け流されてしまった。ヘリから見ているリポーターが、ラジオを通して早口に状況を伝えている。
 衝突を紙一重ですり抜けたトラックの車内でホル・ホースは楽しそうに、うるさく叫ぶラジオを切った。 



 現場からいち早く走り去ったトラックは、その日の夜には深南部へと向かう道の途中のさびれかけた食堂に停まっていた。
 日中運転し続けてくたくたになったホル・ホースが、ビール瓶を握ってテーブルに突っ伏している。反対に一日眠って食事をしたおかげで体力と気力を取り戻した節制は、地元の若者と賑やかに話していた。
「そうなんだよ、走り詰めで。あそこでへばってる奴と交代で、南部の果てまで棺桶届けなきゃならねえんだ」
「棺桶? なんでそんなもんを?」
「おじいちゃんが百歳越えの大往生でさ。派手に葬式あげてやろうと思って、ゴージャスな棺桶買ってきたんだよ」
 適当なホラをふきながら指さしたトラックの荷台には、厳重に梱包された空の棺が積まれている。
「そりゃいいねえ」
と笑う若者に、わざとらしく真顔になった節制は言った。
「それがな、むちゃくちゃ恐えぇんだよ、棺桶にはいる人ってのが」
 梱包の隙間からのぞく”D”という文字の金象眼が、静かに星の光を反射していた。
作品名:生態観測2 作家名:塚原