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最期を飾る色

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誕生日を盛大に祝うことをアロイスは嫌っているように見えた。実際にクロードはそれで一度失敗していた。今思えば馬鹿馬鹿しいことこのうえないが、契約を済ませる前、どこかで読んだ助言を聞き入れてしまったのだ。曰く、プレゼント作戦だ、と。
アロイスは豪奢なベッドの上にひっくり返ってむせながらげらげら笑ったあと、贈り物(何を選んだのかは忘れた)をこちらの顔に投げつけて声を荒らげた。悪魔ってのは考えなしなんだね。もので機嫌を取ろうだなんてちゃんちゃらおかしいよ。お前、誕生日なんてものが祝われるべきものだとでも思ってるの?だとしたらまったく、おめでたい頭だね。俺がどう思ってるのか、教えてやろうか?――
普段の饒舌はそこで止まり、クロードはまるまる一週間はいないものとして扱われた。
すっかり忘れていた出来事が脳裏に浮かんだのは、あのときの続きになるべき台詞を聞いたからだ。
これだけは許されている、というよりはせめて印象付けだけでもしておきたいクロードが腕によりをかけた繊細なデザートで夕食を締めくくったあと、すぐにまばたきの頻度が早まったアロイスの風呂の世話をし、ベッドに入れてやるまで、しかし一方で眠たげなそぶり裏腹、彼は饒舌に弟のエピソードをクロードにひとつずつ語り聞かせていった。
やがてようやく少年は横になり、口をつぐんだので立ち去ろうとすると、静かに声をかけられた。
「クロード」
「はい」
「もう少しここにいなよ」
「かしこまりました」
ベッドの端に腰かける。両目で天井を睨みつけたまま、微動だにしないアロイスがやがて身を起こし、窓のほうを向く気配。そして背中に重みがかかる。
「クロード」
「ここに」
「悪魔には親、ううん、悪魔って、どうやって生まれるの?」
「考えたこともございません」
「ね、じゃあ考えてみてよ」
それでクロードは考えた。考えた末に、
「記憶の及ぶ限り、私は常にこの姿でございました」
「自然発生?」
「おっしゃることが理解できませんが、」
「ああ、もういいよ、つまんないから」
それに、俺も同じようなものだ。
不意にこぼれた言葉のあと、ベッドの上で膝を抱え込んだ少年はもう体重を預けてはこなかった。紙一枚分の距離が生じる。去れ、との命令は聞こえず、静けさの中、ひそめられた声がそっと落としこまれた。
「生まれてこなかったほうがよかったのかもな」
それで忘れられていた一節が思い出された。今あのときの続きを聞いたのだと知った。
「でしたら今すぐ、旦那様を貪り尽くしてしまいましょうか」
返事ですらなかった雑感だったはずだがアロイスの反応は早く、予想外のものでもあった。両肩を掴み勢い良く振り向かせられる。闇の中でもそれと分かるほど爛々と輝く青い瞳。
「ほんとう?!クロード、ほんとうにそうしてくれるの?!」
「旦那様」
「ならいますぐがぶってやっちゃってよクロード。なにをもたもたしてるのさ」
「旦那様」
「御託はいいから!」
「ええ、勿論いつでも旦那様のご命令は叶えられます。しかし」
「……なにさ、その気がないのなら気をもたせるようなことなんか言うなよ」
「それが旦那様の本願であるかどうかを私は疑っています」
肩にかけられた指の力が緩んだ。
「知らんぷりは止めろよ」
「出過ぎたことでしょうか」
「まったくだね。それともお前は、俺よりも俺のことをわかってるって言うの?」
「今に限ってはおっしゃるとおりかと。付け加えるならば、私と旦那様の契約はまだ果たされておりません」
アロイスは決してクロードから目を逸らしはしなかった。逸らさなかったが、今や彼の貌から表情は抜け落ちてしまって、唇がひとつの単語をかたちづくった。
見上げたまま、確かめるように伸びた指が触れた。なめらかな細い指先。頬に添えられたてのひら。小さく首を左右に振ったアロイスが再び口を開いたとき、声までが色を失って、だからクロードの耳には一種の旋律のように聞こえた。もしくは意味を持たない音のように。
「だけど俺は心配なんだ。お前が最後の最後に、きちんと俺を食べてくれるのか」
口元だけで笑ってみせる。
「保証なんて、どこにもないだろう?」
なるだけ手を振り払ったのだという印象を与えぬよう気をつけながらクロードは立ち上がった。カーテンを開けばおりしも何月が窓の外に輝いている。銀色のベールがかかった部屋の中、ベッドの脇、主人の足元に片膝をつく。それでも上半身を起こせば、すぐ手の届く場所でアロイスが唇を噛み締めていた。
「失礼致します、旦那様」
脱いだ手袋をきれいに折りたたみ、スーツの内ポケットに入れたあと、おとがいに形ばかり手を添えると自然に上を向いた、唇を右手でこじ開けた。押しのけようとする手もなにもかも無視して舌を引き出す。そして、光の下で裸になった左手の背をかざした。
「見えていますでしょうか」
頷きながら苦しそうな声を上げる姿に密かに舌なめずりをしながら言葉を続ける。
「これが私と貴方の契約です。今私が触れている場所、貴方にも同じ印があるのです。旦那様、この印を貴方がお持ちの限り、私はいつか貴方を喰らい尽くします。そして印は、消えることなどないのですから」
手の甲を引っ掻く仕草が返事の代わりだった。爪が短いせいでちっとも痛くはなかったそれを、クロードは動物のようだと思った。
指を離して手袋をはめ直している間、アロイスは何度か咳き込み、カーテンを閉じてから「失礼いたしました」と腰を曲げたクロードをしばらく睨み付けたあと、肩を竦めてベッドに倒れ込んだ。
「……サイアクだよ、お前」
「申し訳ございません」
「いいよ、いいよもう。おしおきもなし。あと、こういうプレイがしたいならはっきり言って。俺はすきじゃないってのも覚えておけよ?」
「承知いたしました」
「それと」
身体のばねだけで起き上がった主人が目を合わせようとこちらを覗き込む。
「約束、だからな」
「約束ではなく、契約でございます」
「ああ、うん。それでいいよ、クロード」
そして笑った。
作品名:最期を飾る色 作家名:しもてぃ