喧冬
あいにくと普通の皮膚感覚しか持っていない善吉には、現在の気温が何度であるか正確に知る術はない。
今朝家を出る前に見たテレビの天気予報と体感温度を照らし合わせてみると、現在の気温は「思春期の娘に話し掛けられたのが余程嬉しかったらしい冬将軍が、猛烈に喜びを表しているところ」――十二月下旬にしては寒すぎる、だった。
「ったく、めだかちゃんもこんな日に外で待ち合わせしなくても……」
はぁ、と白い溜息を吐く。善吉の防寒対策は外套のみ。マフラーも手袋も一切なし。至る所から冷たい空気が入ってきて、善吉はふるりと身を震わせた。
「待たせたな、善吉」
街の喧騒に飲み込まれる事なく/これっぽっちも悪びれる様子もなく/空気よりも澄んだ凛とした声。
このような声の主は善吉の知る限り一人しかいない。
「何だよ、めだかちゃん。特別活ど……う、って……」
善吉は声のした方を振り向きながら、呼び出した本人に尋ねた。しかし声は途切れ途切れになり、最後には掠れて白い息になることもなかった。
善吉の視線の先には、背筋をぴんと伸ばし威風堂々と仁王立ちする幼なじみの姿。
「ななな、何だそれ!!」
「サンタさんだ」
「そうじゃねぇー!!!」
うがー! と善吉は頭を抱えた。
待ち合わせ場所に登場した黒神めだかの出で立ち――赤い衣装に身を包み/襟+袖+裾=純白のファー/真冬の寒さの中でも惜し気もなく晒された生脚/大きく開いた胸元はハート型/美しい黒髪の上にはさり気なく三角帽子を載せ――本人の宣告通り、まごうことなきミニスカサンタだった。
「安心しろ、今回は自前だ」
「そうか、演劇部に迷惑掛けてないようで良かったよ……ってそうじゃねぇー!!」
「善吉、あまり叫ぶと喉を痛めるぞ」
「そうじゃ……ああもういいや」
深く息を吸い込んで吐き出す。白い溜息は先程よりも遥かに大きかった。叫び過ぎたせいか、若干喉が痛い。軽く咳ばらいして、喉の痛みを誤魔化す。
どうにか自分を落ち着けて、何とも時事ぴったりな恰好をした幼なじみと対面する。
胸元やら太ももやらを直視する訳にもいかず、強烈な磁場を発する個所からどうにか視線を外す。結局善吉が直視出来るのは、相手の首から上だけだった。
「で、だ」
「うむ」
「特別活動って何やるんだよ」
「これだ」
にっ、と笑ってめだかが取り出したのは一片の紙。割と見慣れた大きさの、実に手頃な紙。
「えーと、『妹や弟たちに夢見る心の素晴らしさを教えてあげてください』」
紙から視線を上げ、めだかの顔を見る。ギギギ……と軋む音が聞こえそうな程、鈍い動きだった。
めだかボックスへの投書――夢見る心の素晴らしさを教育=目の前の幼なじみの恰好=それって、やっぱり。
「そう、その通りだ善吉!」
「さらりと人の心を読むなよ!」
「私は黒神めだかでもなければ箱庭学園の生徒会長でもない。むしろそれらは仮の姿――私がサンタさんだ!!!」
くわっと目を見開きトランザムしそうな勢いでの宣言。
自信たっぷりに宣言されると、人は意外とあっさり受け入れてしまうものらしい。というより、反論の糸口が見つからないどころか、糸口を探す方が間違っているような気がしてくる。
周囲の人々がコスプレ少女の宣言に何事かとこちらを見遣るが、すぐに視線を逸らす。人々は本能的に、直視したら己の中の常識とか人として大事なものが最期を迎えると分かっているのだ。
しかし長年の付き合いで、そういった類のものを一切合切破壊されている人吉善吉だけは違った。
彼女がサンタと言うのならサンタなのだろう。それを受け入れることに今更躊躇いや戸惑いといったものはなかった。
「じゃあ俺はトナカイでもやればいいのか?」
苦笑混じりに善吉が尋ねる。彼女がサンタなら、その相方は一択だろう。
ところがめだかはきょっとーんと目を丸くしたまま固まってしまった。
「……しまった、善吉もサンタだと思ってすっかり同じ衣装を用意してしまった」
そうか、トナカイという手もあったな。
心底感心したようにめだかが言う。善吉は今度こそ開いた口が塞がらなかった。
「その袋に入ってるのって、もしかして……」
サンタさんのお約束ともいってもいい大きな袋。普通は子供達へのプレゼントが入っているものだが、ここまでくると嫌な予感しかしなかった。
「私の愛すべき幼なじみにプレゼントだ。有り難く受け取れ」
めだかが袋から取り出したのは、真っ赤な長外套と、暖かそうな手袋とマフラー。後者は赤ではなくオフホワイトだった。
「な、え……?」
「残念ながら手編みではないがな。貴様が黒は似合わないと言うから、似合う色を探すのも一苦労だったのだぞ?」
押し付けられる形で受け取ってしまったものの、めだかの顔と渡されたプレゼントを交互に見て、それでも善吉はどんな反応を返していいのか分からなかった。
純粋にクリスマスプレゼントなのか、はたまたサンタさんコスプレセットの一端なのか。
「私から貴様にプレゼントだ。寒空の下、私を待っていてくれてありがとう」
デレ控え目の上目遣い×謝辞=善吉の恋心を蹴り上げる/打ち上げる/落下の前に抱擁される。
真っ赤な顔をしている自覚はあった。照れるな、という方が無理難題である。
あれほど寒気を感じていたというのに、今は着ているコートが暑くて堪らない。
善吉は片腕にプレゼントを抱えて、器用に着ているコートを脱いだ。ひんやりとした外気が身を包む。善吉はコートの下に冬服を着ているが、目の前の彼女の露出具合はどうだ。見てるこちらが寒々しい。
「ん」
照れた顔を逸らしつつ、善吉は着ていたコートをめだかに押し付けた。
「善吉?」
「見てるこっちが寒い。上に何か羽織らないと風邪引くって」
「だがそうすると善吉が、」
「俺はサンタさんからのプレゼントあるから平気だよ」
善吉は受け取ったばかりの赤い長外套を羽織った。背丈にぴったりの長さで、外套の下に着ている服が何であれ分かりそうにもない。これに渡されたマフラーと手袋をつければ、確かに即席サンタにはなりそうだ。
早速マフラーを巻こうと、善吉がオフホワイトを広げた時。
「ま、待て!」
慌てたようにめだかが善吉の着ていた外套を羽織る。
「マフラーは私が巻いてやる」
「えーと、じゃあオネガイシマス」
じっとこちらを見るめだかの眼力は有無を言わせないものがあった。自分でやる、と言った途端に御花畑に飛ばされそうな目に合うのは分かり切っている。善吉は素直にマフラーをめだかに渡した。
デレのメーターが振り切れる半歩手前の表情でめだかが善吉の首元にマフラーを巻く。
「……これでいいな」
「おう」
互いの顔の近さに心臓が暴れながらも、善吉はぶっきらぼうに返事した。
「では行くぞ、善吉サンタさん。子供達に素晴らしい夢を見せてやろうではないか!」
091223