金の亡者の非売品
「壊した事務所の」
上司である彼を前にして不遜な態度を取るのは今は亡き殺し屋集団、帝国の姫。名前なのか役職なのか定かでないその呼称だが、彼女が姫であるが故に礼を欠いているのではなく、執事のクラレンスより他に上司に対して敬ったそれを使わない部下しかいない――その部下も2人しかいない――ので今更咎める理由がなく、彼は机上の鞄に視線を注ぐ。
「利子は」
ゲルの全ては金だ、それ以外は凡そどうでも良い。それを分かっている相手は札束を1つ、生身のままで鞄の上へ投げてきた。結構、と一度目を伏せ、改めて姫を見る。
「これで僕はお前に用はない。爆弾に賃金を払い続けるのも癪だ。この機会に辞めてくれて構わん」
寧ろ辞めろ、と歯に衣着せぬ物言いに相手も顔を顰めることはない。
「辞めても良いけど」
ただ淡々と要求を述べる。
「マリーを自由にして」
姫はマリーに懐いている。暗殺以外に何も出来ない獣同然の彼女に愛情を注ぎ、ジルドレ亡き後の彼女を育ててきたマリーを、姫は誰より好いている。しかしゲルは他者の意を酌むような性格をしていない。
「出来ない相談だ」
マリーは父親に売られて此処にいる、というのは建前で、実際は口約束を頼ったマリーの父親がゲルにマリーを任せて逃げた。結果からすれば大差はないが依頼か報酬かというその点において、ゲルの価値観が大きく異なる。依頼は完遂されなければならない、よってマリーを手放す気はない。
「オカマに貸した挙句に忘れるくらいには要らないのに?」
「貸すと手放すとでは意味が違う」
む、と姫の眉間が寄ったのを見て、未だ暗殺術を捨てない彼女への警戒を強める。
「僕を殺すか」
「それが一番手っ取り早いけど、マリーが泣く」
「ならマリーを買うか」
「マリーを所有物にしたいんじゃない」
もういい、と姫は踵を返す。
「助手の助手は辞めてあげないから」
パタン、と静かに扉は閉まった。一息吐いて机上に置かれた札束を眺める。
もし、この金でマリーを、と言われたらと仮定する。
棄却する。いくら積まれてもきっと棄却するだろうという結論へ至る。命を救われた際の口約束だ、救われた命と同等の金額で取引されて然るべきであり、相手が誰であろうとどんな類の金だろうとたった一度で支払われたこの金額が自分の命の価値、即ちマリーの価値に相応しい筈がない。否、どんな額だろうと自分が一生を以って稼ぎ出す額には及ばない、及ばせない。
「僕の所有物だ」
自分の命が誰かの手に渡るなど、冗談ではない。