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たしかあれは10年とすこし前。

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たまの休日を楽しむために、ダービー氏はリビングでお気に入りのソファに沈み込んで、ウイスキーを垂らしたコーヒーを飲む。
 窓からは雪の積もった前庭が見え、暗くなりかけた部屋には暖かい灯りがともって、絵に描いたように穏やかなアメリカの家庭風景だったが、実のところ、ダービー氏が眺めているのはマグから立ち上る薫り高い湯気でも雪景色でもなく、窓ガラスに映った室内の風景だった。
 リビングの奥側には階段があり、その壁は天井まで造り付けの棚になっている。ダービー氏はガラスの反射越しに、ささやかな記念品やたくさんの本が並んだその棚、それからその階段に座りこんで本を読んでいる下の息子を眺めているのだった。
 今年八歳になる彼が眉根をよせて読みふけっている本がどんな内容なのか、ダービー氏にはわかっている。階段の中ほど、小さな壺が飾ってある段に並べてあって、小さな子供が夢中になる本だ。今は家を出てしまった上の息子も、ちょうどあのくらいの年頃に熱中していた。
 ダービー氏の息子達はそれぞれ違った個性の持ち主達だが、大きな本を膝にのせ、少し背を丸めて読む姿勢がよく似ている。
 血はあらそえないものだな、とダービー氏は思った。きっとダービー氏自身も幼い頃はあんな風にあの本を読み、父親に眺められていたんだろう、とも思った。ただダービー氏と上の息子はしばらくそうして読んだあと、もっとじっくり楽しむために本を持って自室にひきあげた。いま、きまじめな顔をしてページを繰っているあの子は、読み始めてから三十分、脇目も振らずに没頭している。可愛げがある、というべきか。
 窓に映った息子の眉間の皺がぎゅっと深くなり、小さな手でなにかの仕草を試しているのが見える。
 そろそろかな。
ダービー氏がそしらぬ顔で見守っていると、息子はなにが不満なのか、唇をちょっと尖らせた。膝を寄せて本を抱え、ズボンのポケットを探っている。反対側も探してみる。両方とも、からっぽ。
 やっぱり。
待ちかまえているダービー氏の背に向かって、息子はいらいらした声をあげた。
「ねえパパ、コインもってない?」
「持ってないな」
振り向いて、ダービー氏は息子に笑いかけた。
「でも、そこの壺にいくつか入ってるはずだよ」
「壺?」
「ああ、おまえが欲しいんじゃないかと思って、入れておいたんだ」
 生意気にちっ、と舌打ちして、彼は棚に載った色鮮やかな壺をとってひっくり返した。ざらざらと金色のコインがこぼれ出てくる。
「それからカードは一つ上の象眼の箱の中、なんだったらリングもあるよ。写真立ての後ろだ」
「そういう『お見通しだよ』っていう感じ、ムカつくんだよ」
 ますます唇を尖らせて、文句は言ってみたものの、コインを試してみたくてたまらないらしい。また座りこんで膝に広げた本を睨みながら、指の間に挟んでは落としている。ぱたり、ぽとんとコインが転がる。八歳にしては頑張っているが、まだ手が小さすぎるのだ。
 ソファの背に腕を載せ、ダービー氏はコインと格闘している息子を眺めていた。スジは悪くないが、この子の興味はあの地道な練習を積むほど持続するだろうか。
 ま、好きにすればいいさ。おまえの好きなように。
小さな手からこぼれたコインはころころ転がって、膝に載った『クロースアップマジックの初歩』のページに挟まっている。
 ダービー氏は微笑んで、声を掛けた。
「テレンス、パパにも一つ貸してくれ」
すでに十分焦れている息子はふくれっ面で、ものも言わずに投げてよこす。
 顔に向かって飛んできたそれをダービー氏が受け止めたとたん、コインがひらひら踊り出した。
 目の前にかざした長い指の隙間を金のコインがすり抜けていく。熟練のなめらかな動きで親指から小指まで一巡りしたかと思うと、コインがするりと二枚に増えた。
 テレンスが目を丸くしている前で二枚から三枚、四枚と増え、ダービー氏の指の間にずらりと整列してポーズを決めたコインが、さっと一振りした動作とともにキラッと光った、そう見えた次の瞬間、もったいぶった動きでつまみ上げられていた。どうやったのか、テレンスにはまったくわからないが、また一枚に戻っている。
 うっかり口をあけかけたテレンスは、あわててふくれっ面を作り直した。
「見せびらかさないでよ、パパ」
「お手本だよ。まだダニエルにだって出来ないさ、こんなのは」
「ダニエルにも?」
「もちろんだよ。まだまだ練習が足りないからね、あいつも」
「練習したらできるようになるの?」
「なるさ。おまえぐらいの頃は、ダニエルだって下手クソだったんだぞ。部屋にこもりっきりで練習してたもんさ」
「ヒマなヤツ!」
小馬鹿にしたように笑って、テレンスはコインのマジックの練習に取りかかった。
 ダービー氏は再びソファに腰を落ち着けて、また窓ガラスごしにその様子を眺めた。息子の顔はいつになく真剣だ。
 お前たちの好きなようにすればいいさ。私の子達だ、それでいい。
マグをとり、ウイスキー入りのコーヒーの香りと、喉をすべり降りていくその感触を堪能する。
 しかし、こうも似てるとなると、きっと私と同じような道楽にハマるんだろうな。あいつらも。
ダービー氏の親指が、手元に残ったコインを高く弾きあげた。回転しながら上昇し、落ちてきたそれが、空中でぴたりと静止した。コインが宙に浮かんでいるのは、マジックでもなんでもない。肉眼では見えないダービー氏のもう一対の手が、金色に光るコインをつかんでいるのだった。
 コインに熱中しているテレンスは、気がつかない。
 すっかり暗くなった戸外で、また雪が降り始めていた。