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ゆち@更新稀
ゆち@更新稀
novelistID. 3328
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我侭でいいから帰したくないと言ってよ

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しゅうしゅうと夜空に深い灰色の煙を広げて目の前を通りすぎた蒸気機関車を目で追った。
これで、何本目だったっけ
冷えるから、と言われて隣の男に渡されたマフラーに紅くなった鼻を埋めて手にぎゅっと力を込めた。

「もうすっかり冬だね」
「そうね」
「テノスなんかはもっと寒いのかな」
「そうね」

意味の無い問答を一体何度繰り返しただろう。
ルカが困惑するのをわかってて、イリアはつっけんどんに言葉を返した。

わかってるくせに、ばか。

首ねっこを掴んで怒鳴ってやりたかった。でも、それでは意味が無い。
冬で良かった、とイリアは心の内で安堵してまばらになった向かい側のプラットホームに目を向けた。
すぐにかっとなってしまうイリアの性分でも、外気が冷たいお陰で少しは頭が冷えるから。
これがガラムやガルポスなんかであれば、数分も持たずに張り手でも食らわせてしまうかもしれない。
それでも知っているくせにわかっているくせに言わないで、そのくせ自分が離さない手を振りほどこうとしないルカに、次第に募ってゆく苛立ち。
胸の奥と頭の芯を侵そうとしてくるもやもやとしたおぼろげな不安。
怒声よりも先に、零れてしまいそうになる涙が邪魔して上手く口を開くことが出来なかった。

ばか、ばか、ばか

唇を噛んで、何度も叫んだ。
聞こえてるくせに、聞いていないフリをしているルカが腹立たしかった。

ゴトンゴトンと重々しい金属音が静けさの中を突き破って、トンネルの向こう側から指した光が段々とその輪郭を示してゆく。

「ー・・・イリア、これ乗らないと」

もう帰れないよと前を向いたままのルカの言葉に、イリアはただこくりと頷くことしか出来なかった。
「レグヌムです、お忘れ物なさいませんよう」と車掌の声が閑散としたプラットホームに響いて、ぞろ、ぞろ、と人が二人の隣を通り過ぎてゆく。

――まもなく出発です。ご乗車の方はお急ぎください

「イリア」
「うん」

手を離した。
温もりを残したままの左の掌と対照的に、真っ赤になるまで冷えてしまった右の掌がひりひりと痛んだ。
ルカに背を向けたまま汽車に乗り込むと、沈むような暖かい空気が冷えた身体を包んだ。
やばい、泣きそう
客観的にそんなことを思ったりしたのだけど、此処まで我慢したのに泣いてしまうのは何だか悔しかった。
目尻から一筋頬に伝った雫を冷たい手で乱暴に拭って、口角を無理矢理引っ張り上げて笑顔を作って、振り返ろうとした。

――イリア!
響いた声に時間が止まったような錯覚に陥った。
突如戻された冷たさと温かさに目を見張る。

ゴトンゴトンとまた響いた金属音が小さくなって、暗闇の中に姿を消していった。

「――痛い、」
「うん」
「痛いってば」
「うん」

そう言いながらも緩めようとしない腕の力に、ぽろぽろ零れた涙は痛みの所為ではなかった。



「どうすんのよ」
「え?」
「もう今日帰れないじゃない」

いつもより紅くなった瞳を細めて、非難がましく言ってやればルカはバツが悪そうに眉を下げて「ごめん」と謝った。
イリアはぷいと顔を背けて、「知らない」と意地悪く言ってやってから、こっそりと笑いを零す。

「―・・・一言ゆってくれれば、十分だったんだけどね」

足音に消えてしまうくらいの呟きが上手く耳に届かなかったので、ルカは更に瞳をぐるぐるさせて首を傾げる。
一歩、二歩、それから今度はちゃんと笑って振り返る。

「あんたは馬鹿ねって話!」

何か言おうとルカが口を開くが、それより先にくしゅん、とくしゃみを零す。

大丈夫だってゆってたくせに

「あーもう、やっぱり寒いんじゃない。おたんこルカが見え張ってんじゃないわよ」

しゅるっとマフラーをと外して、背伸びに頼ってルカの首へと巻き直した。
男の矜持が否か、一度言ったものを引っ込められないのか少し抵抗をするのだがイリアは一向に意に介さない。

「あたしの所為で風邪引いたー、なんて言われたら気分が悪いでしょ」
「言わないよ、そんなこと」

でも、

「風邪引いてもいいかなって」
「何でよ」

そしたら、イリアが居てくれるかなって

「――看病なんてしないわよ」
「いいよ、それでも」

冷たい掌に、重ねた冷たい掌。
冷たい唇に、重ねた冷たい唇。

「つめたい」
「―・・・・当たり前でしょ」




我侭でいいから帰したくないと言ってよ