星の図鑑
目の前に差し出された大小二つの包み。
俺と理一は同じ月の生まれだった。誕生日のお祝いはいつも二つの日付の真ん中にやった。そして理一はちょっと遅い、俺は一足早いプレゼントを貰う。
差し出されたのは天体望遠鏡と天文図鑑。天体望遠鏡は半年も前から理一が欲しがっていたものだ。俺は何もねだらなかった。そこで、ばあちゃんは二人に二つのプレゼントを用意してくれた。
「お互い独り占めしないでちゃんと貸し合うのよ」
万里子おばさんの言いつけに理一は素直に頷いたが、俺は平べったい包みを抱えて顔を背けた。
「別に、借りない。」
二人に二つのプレゼントは一人に一つのプレゼントになった。
その日以来、俺は納戸にとじ込もっては図鑑をめくった。理一のおまけだろうとばあちゃんが俺にくれたプレゼントは宝物だった。紙に印刷された沢山の星座は、昼だろうが雨の日だろうが、いつでもくっきり見えた。誕生日会から三日続いた悪天候を嘆く理一が馬鹿に見えた。俺の図鑑は俺を裏切らない、いつでも失望させない。四日目にようやく晴れて、理一と理香がはしゃぎながら庭に飛び出すサンダルの音を聞きながら、俺はやっぱり納戸で図鑑をめくっていた。
五日目の夜、納戸の扉が静かに開かれた。
「侘助、私と一緒に夕涼みしないかい?」
うちわを持ったばあちゃんに連れられて縁側に出ると、月明かりの下で望遠鏡を覗き込む理一が見えた。あんなもので見るよりも図鑑の方がきっとよく見えるのに。
「ほら、ごらん。今日は満天の星空だ。」
ばあちゃんの白い指が濃紺の空を指す。軒から広がる星空は視界に収まりきれなかった。図鑑で見るよりもずっと広くて、星が遠い。首が疲れる程見上げていたけれど、どこが右で左で上か下かもわからない。あんなに図鑑で見たのに一つも星座を見つけられず、悔しくて膝の上で図鑑を開いた。
「まずは北極星、北斗七星を見つけるんだ。」
一番明るい星を探し、図鑑をくるくる回しながらひしゃく型の星座を見つけた。そうして空と図鑑を交互に見ていくと、いくつかの星座が確認できた。
「あの明るいのがこれ、ちょっと明るいのがこの星…」
説明するとばあちゃんはにこにこ笑って頷いた。
「あれはプテラノドン座!」
聞いたことのない名前に驚いて視界を空から地上に下ろす。楽しそうに星を指差す理一を見たらばあちゃんと星を見て浮かれた気持ちがしぼんでしまった。
「アイツ馬鹿だな。そんな星座あるわけないのに。」
呟くと、すぐにぴしゃりと叱られる。
「人を簡単に馬鹿なんて言うもんじゃないよ、侘助。」
「だってさ…」
「新しい名前をつけたっていいじゃないか。星はいっぱい散らばってるんだからね。」
庭では理一と理香が好き勝手な星座の名前をいくつも並べて笑っていた。図鑑を閉じてしまうと、もう星々は線を結ばなくなった。
「ティラノサウルス座!」
「トマト座!」
「アンモナイト座!」
・・・・
「ドラゴン座!」
「リザードン座だってば!」
何十年経っても、夏でも、上田の夜は涼しい。縁側に腰かけてビール片手に見上げる夜空もまた昔と変わらない。子供の頃に覚えた星座はほとんど思い出せず、やっと見つけられたのは北斗七星だけだった。人間はこんなにも変わる。隣に座ってくれるばあちゃんも、もういない。
「あれミュウだよ、ミュウ座!」
祐平が必死に叫ぶのを聞いてポツリと呟いた。
「プテラノドン座だろ」
「よく覚えてたなあ。」
振り返ると無駄に背の高い甥っ子がグラス片手に立っていた。断りもなしにビール瓶を挟んで隣に腰を下ろし、自分のグラスを満たしてから茶色の瓶口を俺に向ける。それを無視して半分ほどグラスに残っているビールをちびちび舐めた。ニヤニヤしているのが気に入らない。
「懐かしいな。ティラノサウルスにプテラノドンに…ステゴザウルス座もあったか。」
「…あったんじゃなく作ったんだろ。」
「今も昔も子供の発想は変わらないよな。」
グラスに口をつけたまま星を見上げるとすぐに飲み干してしまう。自分で注ごうとビール瓶を探すと理一の向こう側に置かれていた。ニヤニヤしながら理一が瓶をとる。
「昔、望遠鏡で星を見てたの覚えてるか?」
「俺は見てねえよ。」
「ああ、そうだ。侘助が図鑑を独り占めしてるから、俺は星座の名前がわからなかったんだ。それで新しい星座を作った。」
独り占めなんて咎めるようなことを言うが、理一に「図鑑を見せてくれ」なんて頼まれたことは一度もない。
「侘助だって望遠鏡を見たがらなかっただろ?」
「俺のせいかよ。」
「そんなこと言ってないだろう。」
「ろくに一緒に遊びもしなかったんだ、物の貸し借りもするもんか。」
「でも、お前、覚えてたんだな。」
勿体ぶるように間をおいて、ニヤリと笑う。
「プテラノドン座」
カッと頭に血が上った。いっきにグラスを空けて床板に叩きつけ、立ち上がった。
「酔っ払うには早いんじゃないのか?」
「うるせぇ!」
理一の笑い声に被って「キングカズマ座!」とか「イカ座!」なんて聞こえてきた。早足で廊下を歩き、佳主馬が健二くんとゲームで盛り上がる納戸に入り、棚の隅から古い図鑑を引っ張り出すとすぐにまた縁側に戻る。
「おい、ガキども!これでも見て勉強しろ!」
「なーにー?」
「なんの本ー?」
素直な子供たちが目を輝かせて駆け寄ってくる。それより先に理一が床に置かれた図鑑を手に取った。
「俺も借りていいかな。」
「大人げない野郎だな。」
「いいだろ、ずっと借りたかったんだ。」
無造作に開かれた図鑑のページは一番好きな星座が印刷されていた。一人で何度も見た図鑑を子供と理一が取り囲む。
「よし、望遠鏡も出してこよう。」
「わーい!ぼうえんきょう!ぼうえんきょう!」
「ぼうえんきょうでこの星見るー!」
子供たちが「はやく!はやく!」と理一を急かす。そして、俺は初めて望遠鏡を覗き込んだ。