国も星も
小鳥たちが木の実をつつき、羽根を繕いあう微笑ましい光景。
マスルールはそれらを見るのがすきでした。
シンドリアの美しい森の中には、数えきれない種類の鳥たちが棲んでおり、そのような営みを眺めていると、自然と心が穏やかになるのです。
しかし、同じ鳥でも、フォカロルは違いました。
あの忌々しい魔神の戦い方は、我が王に優しくはない。幼いマスルールはそれを口にし、ましてや諌めることなどとても叶いませんでしたが、常々心に思ってはいたのです。
ああ、マスルール、おまえの部屋だったか。
窓を覆い尽くす黒いなにかが、満ちた月の煌々とした光を遮り、部屋の中に不意に闇がおちました。
大きな黒い翼は、フォカロルという魔神のちからがもたらしたそれだと、マスルールにはすぐ分かりました。シンドバッドがその魔神と融け合って様々な脅威を退けるさまを、何度も目にしていたからです。
しかし、今日はいつもとは様子が少し違いました。
羽ばたきながらマスルールの部屋の窓をくぐった彼は、翼をたたみきれぬままに落ちてしまったのです。着地するどころか、勢いに負けて床の上を転がり、木の枝が折れるような音を響かせながら、やがて止まったのです。
音は、羽根が折れて剥がれたせいでしょう。生臭い血のにおいが、部屋の中にたちこめました。
シンドバッドはしばらく横たわり、動きませんでした。うつぶせになった背中が上下していたので、生きていることは分かりました。
マスルールは寝台から降り、シンドバッドを抱き起こしました。前に見たどのときも、ちからを使い終えたら収束するはずの、忌々しいあのフォカロルの羽根は、身体の表面からしりぞこうとしません。
力を使いすぎてね、もう少しで呑まれてしまうところだった。
シンドバッドは掠れた声で、言いました。
ジャーファルさんを呼びましょう、というマスルールの提案に、シンドバッドはよわく、よわく、首を横に振ります。
やめておくれ、あいつは心配しすぎてしまうから、俺が居たたまれないのだよ。
マスルールの腕の中で、シンドバッドは何度か血を吐きました。マゴイを使いすぎるとこのような状態になるのだと、マスルールはジャーファルに教わったことがありました。
自分のマゴイを分けてあげられればよいのに、と思いましたが、マスルールにはそのような能力はありませんでした。そのことを酷く悔やみました。
殺す理由が増えてしまったんだよ。
シンドバッドは言いました。
守りたいものが増えるほど、滅ぼす理由も増えていく。
おまえたちをあいしている。
おまえのことも、とても大事におもっている。
そんな俺はきっといつか 国も 星も 滅ぼすよ。
俺はどうしようもないくらいに傲慢だから、邪魔な全てを壊してしまう。そんな王を、おまえは許すかい。
幼いマスルールには、シンドバッドは口にした言葉は難しすぎて、全てを理解することはできませんでした。
彼はとても恐ろしいことを言っているのだ、ということは、うっすらと分かりました。
とてもとても恐ろしい、深淵のようなことだまでした。これが「ごうまん」という言葉のもつ意味なのかもしれません。
ああ、我が王よ。
苦しそうに目を伏せるシンドバッドを撫でながら、マスルールは口を開きました。
海も空も、美しい宝物も。空にかがやく月さえも。
俺にはどれもがあなたに劣る。俺の全てはあなたなのです。
だから俺は、あなたが仰る言葉の意味が、きっとずっと、分からないままなのでしょう。
まるで物語を読んで聞かせるように、静かな、静かな、ことばのじゅもん。シンドバッドは目を細め、そして昏々とながい、安息の眠りについたのでした。