恋願う
眉目秀麗を体現する姿形よりも、甘さの残る声だとか、それに反した子供っぽい笑顔と性格だとか、触れた体の体温だとか。
そんな彼の一つ一つに、初めて会った時から、触れた時から、きっと僕は惹かれていたんだ。
でも。
僕は彼を幸せにできない、彼の隣に立てない。彼の未来を壊してしまうだけ。
僕の勝手な想いだけをぶつけるわけにはいかない。
(だから、もう彼から離れようって決めたのに)
「許さないよ」
何時もの声とは全然違う、低い声が響いた。
背後にあるのは古い畳。目の前に広がるのは見慣れた天井を背後に、綺麗な彼の顔が僕を赤い瞳で見ていた。
両手首は彼に掴まれていて、床に押し付けられている。所謂「押し倒された」格好で、僕はただ彼を見つめることしかできなかった。
「許さないよ、帝人さん」
もう一度、同じ言葉が響いた。初めて聞く彼の声、初めて見る彼の表情。
「こわい」と感じるよりも先に、何が彼をそうさせているのかが分からなくて、脳内は疑問で満ちていくだけ。
それがまた彼の何かを怒らせたらしくて、僕の手首を掴む力が強まった。痛くて、ちょっと顔を顰めてしまったかもしれない。
するとようやく彼は少しだけ何時もの表情を覗かせる。そして泣く寸前の顔で、苦しそうに笑った。
「帝人さん……どうして、離れようなんて言うの?」
「臨也、くん」
「俺のこと嫌いになったの?もう一緒にいるのも、顔を見るのも嫌なの?」
「そんなこ、」
「じゃあ…っ」
僕の声を塞ぐようにして臨也君が叫んだ。珍しいそれにびっくりして何も言えなくなる。
手首を掴む力は少し緩まったけど、それでも僕を逃すまいとしっかり掴んでいるようで。
(勘違い、してしまいそうになる)
「どうして、なの」
「臨也君、僕は」
「俺は、帝人さんが好きだ。傍にいれれば幸せなんだ。それだけじゃ、だめ?」
何度も聞いた、臨也君の「好き」という言葉。でもきっとそれは間違いだよ。
君は僕なんかを好きなるはずがないし、好きになっちゃいけないんだ。
「それは、違うよ。」
「っ、」
「それは臨也君の勘違いだよ。僕を“好き”だという感情も、“幸せ”だという思いも」
「……何、言ってるの」
「よく考えてごらんよ、僕たちは何もかも違いすぎてる。歪すぎて一緒にいることなんて、」
できない。
それだけを吐き出すのに、どれだけ労力を使ったかわからない。それでも臨也君はずっと僕を見てる。
それに耐えられなくて僕は臨也君から視線を逸らした。
「…僕じゃ、臨也君を幸せにしてあげられないし、“好き”でいることもできない」
「……」
「だからもう…こんな馬鹿げたこと、やめよう」
一番伝えたくて、一生口にすることが無ければよかったと願った言葉。それを言い終えて僕は唇を噛んだ。
少しでも気を緩めてしまったら、みっともなく泣き出してしまいそうだったから。
一分にも満たない沈黙が、何十分にも思えた時、臨也君は僕に漸く届くくらいの音量の声を発した。
「……帝人さん、知ってましたか」
「、?」
「帝人さんってうそをつく時、視線をずらすんですよ」
「!?うそ……っ」
臨也君の言葉に反射的に顔を上げた。上げたというより、臨也君の方へ向けた形。
そこでにやりと笑っている臨也君の瞳とかち合って、僕は騙されたことに気づく。やられてしまった。
「やっとこっち向いたね、帝人さん」
「騙した、の?」
「本当半分、嘘半分ってとこかな。だってさ、さっきの言葉、嘘なんでしょう?」
「それは…」
嘘、ではない、一緒にいたらだめだと思っていることは事実。だけど、
(実現、してほしくは ない)
あぁ、僕は結局我がままで、だめな奴。
「第一、言わせてもらうけど」
「え、?」
「俺の感情も幸せも、帝人さんが決めることじゃない。俺が決めることだ」
「俺は帝人さんが好きだ、愛してる。ずっと傍にいたい、ううん…傍に いさせてほしい」
(…っ)
ほら、そうやって君は。
真摯な目で、熱っぽい甘い声で、そんな言葉を吐き出さないで欲しい。
どうして彼はいとも簡単に、こんなことができてしまうんだろう。
(ばか、臨也君の、ばか。ばかばか、ばか)
「ば、かあ……っ」
「み、帝人さん!?」
気付けばぽろぽろと堰を切ったように、涙が次々に溢れ出してきた。もう一度流れてしまえば我慢なんてできない。
何度も「ばか」を繰り返す僕に困惑したようで、臨也君は恐る恐るといった風に僕の両手首から手を離した。
ちょっと痺れるけど構わずに、僕はごしごしと涙を拭う。本当にみっともない、こんな姿見せたくなかった。
「ど、して…そんな、こと、言う、です、かぁ」
「帝人さん…」
「僕が、どれだけ…覚悟、したっ…思って…っ」
臨也君が好き、一緒にいたい、一緒にいて欲しい。でもそんなの無理だって思った。
僕のせいで臨也君の未来を穢してしまったら、僕はこの命をもってしても償いきれない。
だから離れようって思ったのに、どうして君は。
「そ、なこと…言われ、たら……離れら、れな…じゃないです、か」
「っ…」
「……も、ぼくも…臨也くんの、そばに、いた いっ」
涙で滲んだ世界に彼がいた。いろんな感情をごちゃまぜにして、そして微笑んでくれる彼がいた。
彼の「帝人さん」と呼ぶ声が優しくてまた涙が溢れる。それを拭う手は酷く暖かく感じた。
「やっと聞けた。帝人さんの本音」
「臨也、君」
「大丈夫だよ、俺は帝人さんと一緒にいれたら幸せなんだから。帝人さんは…幸せじゃ、ない?」
「……ううん、そんなわけ、ないよ。僕も、臨也君と一緒にいれたら、それだけでいいよ」
「…そっか、嬉しい」
臨也君が柔らかく笑う。きっとこの笑顔は僕だけのもの。僕だけが知る臨也君の姿。
溢れ出す感情はもうごまかさない。
「臨也君、好きだよ」
もしかすると初めて発したかもしれない言葉に、臨也君はぱちくりと瞬きをして動きを止めた。
でもすぐ「俺も」と笑みを深くして、そっと僕たちは唇を合わせた。
きっと、初めて会った時から彼に惹かれていた。
眉目秀麗を体現する姿形よりも、甘さの残る声だとか、それに反した子供っぽい笑顔と性格だとか、触れた体の体温だとか。
そんな彼の一つ一つに、初めて会った時から、触れた時から、きっと僕は惹かれていたんだ。
でも。
僕は彼を幸せにできない、彼の隣に立てない。彼の未来を壊してしまうだけ。
僕の勝手な想いだけをぶつけるわけにはいかない。
(だから、もう彼から離れようって決めたのに)
「そんなの、許すわけないだろ」
だって帝人さんは俺のものなんだから。でもその代わりに、俺も帝人さんのものにしていいよ。
「だから、ずっと一緒にいよう」
そう言って笑った彼に、僕は返事のかわりに彼の腰に腕を回すことで答えた。