さとやちでカラオケ
「あんまり期待はしないでくれ」
防音が効いているのかどうか微妙な、よくあるカラオケチェーン店の室内で二人きり。
八千代が歌い終わり、続いて目前のマイクの電源をオンにしてのやりとり。
まったく苦手かと思いきや率先して歌い、英語の曲を歌うのは意外だった。
どうして俺達がカラオケに来ているのか。それにはちょっとした御膳立てもとい、御節介があったからだ。
今日の昼過ぎ、バイト先。いくら客の来ないファミレスと言われていようが休日には自由な時間での食事を楽しもうとするのだろう、それなりに繁盛はする。
本日も御多分に漏れず忙しいわけだが、もう一人のキッチン担当は会話を楽しみたいようで頻繁に話を振ってくる。
「佐藤君、知ってる? 今ね、小鳥遊君と伊波さんが二人っきりでカラオケデートしているんだって。興味ない?」
「口を動かす前に手を動かせ。それと何でお前が非番の小鳥遊と伊波の行動を知っているんだ気持ち悪い」
「気持ち悪いってひどいなぁ。佐藤君は轟さんとカラオケデートしてみたいと思わないの?」
「は? 話が繋がってねえだろ」
「いいからいいから、今日は轟さんと同じ夕方上がりでしょ。そのまま轟さんと一緒にカラオケ行ってきてね」
「何言って……」
「はいこれ、地図ね。予約は取ってあるし轟さんに話はしてあるから」
「おい、待て相馬!」
食えない飄々とした笑顔で必要な事だけ伝え置いていくと、フロアの方へフラフラと消えていく。
オーダー分は出来上がっているところを見ると、伊波がいないのを良い事に種島や山田をからかいに行ったのだろう。
そしてキッチンにはカラオケ店への地図を持たされた俺一人。
この後のシフトが上がってから店に着くまでの車内での八千代との応酬は想像に難くないだろう。
やれ友達とはカラオケに行くものだと相馬に教えられただの、まひるちゃんは小鳥遊君とのカラオケを楽しめているかしらだの。
杏子さんが高校生の時には私と杏子さん、陽平さんと美月さん、それともう一人の男の人とで何回か行った事があるのよ。杏子さんは滅多に歌わなかったけど。
結局、カラオケ店の御飯は冷凍だし高いしで、いつの間にか行かなくなっちゃったわ。
そう話してくれた横顔は、良き思い出を振り返る懐かしさを物語っていた。
予約の旨を受付に言い、通されたのはごく普通の部屋。ディスプレイがありそのラックには本体と思われる機械が数個、重なるように収納されている。
大学の友人と来ると人数が多くなって大部屋に通されるから狭く感じるがこれはこれで悪くはない。
「最近のカラオケってすごいわね……佐藤君これは何かしら?」
入室するなり数年来のカラオケの進化ぶりに目を見張っていた八千代はある物を見つけて尋ねてきた。
「それはタッチパネル……フロアのハンディターミナルみたいなものだ。いちいち本を調べて番号を入力しなくてもこれで検索すれば簡単に入力できる」
「…………爆発しない?」
「しねえよ」
「襲ってこない?」
「そこまで科学は進歩してねーよ」
いつだったかにもした会話は緊張を解きほぐしていたようで、先に歌おうかと考えていた俺をよそに八千代はぎこちない手つきでパネルを操作していく。
あれだけレジ操作やターミナルに苦戦していたのが嘘のようだ。これは携帯電話を使い始めた事にも関係あるのかもしれないな。
「出来たわ。送信、でいいのかしら?」
ピピッと入力するとディスプレイが宣伝から受付完了画面に切り替わり、タイトルと歌手が表示された。
時代劇の主題歌辺りが無難だと煙草を吸いながらぼんやりしていた俺は度肝を抜かれる。
「お前……本当にこれを歌うのか……?」
「え、え? おかしいかしら?」
「いやだってこれ、英語だし……この歌手、かなり難しいんじゃないか?」
「私あまりカラオケで歌うようなの知らないから……これなら美月さんに聴かせてもらった事があるから多分……」
歌えると思う、と続けた八千代の選んだ曲は北欧の歌姫の物だった。
……頭が混乱してどうにかなりそうだ。
ただでさえ英語とは無縁の人間なのにそれに加えて、歌のリハーサルを嫌いそれをセックスの前にリハーサルなんてしないと同義で考える歌手の歌を歌うなんて。
俺は実は八千代に騙されていて本当は、えぇー八千代ちゃん分かんなーいとか言うようなタイプなのかもしれん。
イントロの電子音とドラムに続いて八千代の声が入って来た時、その馬鹿げた妄想も吹っ飛んでしまう事になるわけだが。
「……おかしくなかった?」
「あ、あぁ。すごく上手かった」
「本当に? 初めてだったから何とか真似して歌ってみたけど、上手に出来て良かったわ」
初めてでこれかよ。上手いってレベルではないな。
しかし冷静に考えてみれば英語で歌い方の難しい曲とは言っても、これで器用な部分もあるからな。それが上手く作用したのか?
「さぁ次は佐藤君の番よ。すごく楽しみだわ」
「あんまり期待はしないでくれ」
急かされてパネルを操作して見つけたのは……これにしよう。
期待に応えるべく英語曲には英語曲を。
「佐藤君も英語の曲なの?」
「お前に対抗してみたくなったんだよ」
「ふふ、歌詞は分からないけど頑張って聴くわ」
既のところで一本線のようなストリングスイントロが始まり、ほぼ同時にあぁ頼むと耳に届くか微妙なボリュームで返事をする。
聞こえていなくてもいい。大切なのはこれを歌う事だ。
理解されない曲を歌うなんて馬鹿かもしれない。
ましてやこの曲は好きな人と二人きりの状況で歌うようなのものではなく、どちらかと言えば酒が入った状態で友人達と歌うと盛り上がるような曲だ。
解釈は人それぞれだが甘ったるいラブソングでもない。
曲はやがてうねるようなシンセサイザーが主導権を握っていき否が応にも高揚を感じさせられる。
思えばこの曲を歌っている時は必ず八千代の顔が浮かんでいた。
名前を呼ぶようになった時、飲みに行った時、進展とも後退とも停滞とも判断のつかない出来事があった時。
好きだと言った瞬間を、抱き締めた瞬間を。絶対に忘れはしない、絶対に後悔しない。
咄嗟にいった謝罪はもう言いたくない。言わなくても良い関係になりたいんだ。
もうそろそろ、限界ぎりぎりなんだ。