antennae dagger
不意に臨也はそう思う。
辛うじて、命は取り留めた。
動かない不自由な身体で、白い病室の天井を見上げながらそう思う。
あとは――
「いぃいざぁやぁあッ!!」
そうだ、この存在を待っていた。
「シズちゃん……」
視界に映るのは、病院では浮く(というか街中でも浮いてる)特徴的なバーテン服、金髪にサングラス。
誰が来るかと思っていたが、この状況でやってくるのならこの存在がよかったと、反吐が出るような思いがする。
それだけ自分は平和島静雄という存在が嫌いだ。そして、静雄も自分が嫌いだ。
「事故っただと? いい気味だな」
サングラスを外して胸ポケットにしまい、静雄がにやりと笑う。
「巻き込まれたんだよ。それでね、ダンプカーにはねられて、ポーンと」
歩行人や周囲の車を巻き込んで、アクセルとブレーキでも踏み間違えたのか、はたまたハンドルを切り損ねたのか、ダンプカーが新宿の街中で横転、運転手は意識不明の重体で、重傷者も出た。――それが、たまたま『折原臨也』という存在だった、それだけのこと。
頸椎C-6完全損傷。それが診断。
「新宿の街は物騒だからねぇ、っていってもシズちゃんのいる池袋ほどじゃないけど」
コンビニのゴミ箱や自販機が飛び交い、首なしライダーが闊歩する街のことをけらけらと臨也は笑う。
それなりにニュースになったようだが、自分の元に真っ先に来てくれるのは誰だろうかと思案していた。
「ねぇ」
そして、平和島静雄がやってくるとしたら、目的はひとつだけ。動かない身体の代わりに、ぺらぺらと臨也はしゃべる。
「トドメ、さしてよ」
冷たい、冷たい目で静雄を見上げる。光の具合で、臨也の目が赤く見える。
「……」
静雄は無言で近づいてくる。
「思ったんだよねぇ、なんでこんな状態で生き延びたんだろうってさ」
損傷部位からするとホントは肩をすくめるくらいのことならやろうと思えばできるのだろうが、あえてその動作は追加しない。
「……けっ、ノミ虫が」
この状況は、さすがに静雄も予想外だったのだろう。臨也の過失の全くないところで、臨也がとんでもない重症を負った。
隣の空のベッドでも持ち上げるんじゃないかという覇気を含ませた静雄を見て臨也は安堵さえ覚える。
けらけらと、他人事のように笑う。
「俺はほら、善人じゃないからそれなりにいろんな人間から恨みを買うことだってある。んで、その誰かがトドメを刺しに来るんじゃないかなーと思ったわけよ」
身体が動けば、大げさな身振り手振りを加えてただろう。けれど、臨也の手足はもう自由に動かない。
「奇跡的に生き延びたわけだけどさ、首から下が動かないわけよ。もう完全な無抵抗。何されてもしょうがないて感じ。自力で自分ひとりで生きてくことも出来なくなっちゃったわけだし、独りぼっちの俺はいろんなものから取り残されるわけよ」
果たしてこんな状態にまで落ちぶれた自分を、無償で甲斐甲斐しく世話してくれる人間はいるのかどうか。答えは当然NOだ。そういう生き方を臨也はしてきたし、それでいいと思っていた。
「脳波や目の動きで動かせるコンピュータっていうのは実用化されてるし、まぁそれでもアタマは無事なわけだから、俺はそれなりにいろんな人間のいろんな情報握ってるし、相手によっては情報戦で戦ってみてもいいかなーとかも思ったんだけどね、シズちゃんが真っ先に来てくれたから、あぁやっぱもうどうでもいいやぁって思っちゃったのね」
静雄の怒りは沸点ギリギリまで来ている。その証拠に――自分に馬乗りになって、この首に手をかけている。かかったかかった。ホント、シズちゃんは面白い。
「簡単だよ。シズちゃんが今俺の首にかけてる手にちょっと力を込めるだけでいい。気道がふさがって、呼吸が止まって、脳の動きが止まって……それだけだ。ああ、いや、シズちゃんが本気込めたら人間の首なんて千切れちゃうかな?」
静雄ならそうなりかねないな、だとしたらちょっとした猟奇事件だと思って、挑発するが――
「くそっ……ノミ虫の癖に」
一瞬だけ力を込めて、すぐにその手は離れてしまう。
けほけほと、わざとらしく臨也はむせてみた。
なんで殺さないんだろうね。ホント。俺は割と本気でシズちゃんにナイフ突き立てたことだってあるのに。
「じゃあさ」
そして、さらに静雄を挑発してみる。
「キス、してよ」
好きという感情の裏返しは果たして本当に『嫌い』か。違う、LIKEやLOVEの反対は――"indifference"(無関心)。
だから、大嫌いという感情は、まるで抜き身の刃の様。
人間を愛してやまない妖刀の囁きを、臨也と静雄は思い出す。
これはキレるなー、と臨也が思って目を閉じたとき――
唇に感じるのは、予想外の柔らかい感触。
目を見開く。最初は驚きに。そして……瞳は失望にも似た昏い炎を灯す。
ああ、本当にこの男が自分は嫌いだ。大っ嫌いだ。
――ガリッ
腹筋に5mmしかナイフのささらない男も、さすがに唇という粘膜までは鍛えられていなかったらしい。
「あはっ! はははははっ!! シズちゃんってさぁ、ほんと単純だよね。その上理屈が通じない」
けらけらと臨也は笑う。髪切られた唇を拭って、静雄の怒りは頂点に達している。
――だから、さっさとトドメを刺しておけばいいのに。
「いつかぶっ殺してやる。ノミ虫――いや、イモムシ。芋虫は芋虫らしくせいぜい地面を這いつくばってろ」
サングラスを取り出して、静雄は踵を返してしまう。
そのいつかっていつなんだよ、と去る背を目で追いながら臨也はため息をついた。
病室のベッドの柵は、飴細工のように歪んでいる。
あーあぁ、これ俺が弁償させられるのかなぁ、と思いながら。
作品名:antennae dagger 作家名:黄色