君の哲学を教えてよ
俺はシズちゃんの肩口に頭を乗せ、彼がくわえる煙草の先端をぼんやりと見つめていた。このままだと灰は重力に従って彼の顎、若しくは首筋に落ちることになるのだけれど、気付いていないのかわざとなのかシズちゃんは煙草を口から離そうとしなかった。
空気が鳴くような音を立てて火種が消えた。消したのは俺なんだけど。
「おい、」
目線を僅かにずらせば鋭利な瞳が非難するように睨んでいた。俺は手にしていたナイフを床に落とす。降参の意味。
「灰、落ちそうだったから」
「てめえが動けねえ様にしてんだろうが」
「俺の灰皿使いたかった?」
と、言って舌を出してみせればシズちゃんは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。それ、本当に嫌そうでいいね。シズちゃんはただのゴミ屑になった煙草を吐き捨てると死ね、と小さく言った。俺は呼吸の度に上下する彼の胸を優しく撫で、そのまま向こう側の彼の腕へと手を這わす。死ね。また聞こえた。衣服の皺を一つ一つ確かめながら、その溝を埋めるための言葉を色々捜してみたりはするけれど、まあ、そういうのは全部シズちゃんに対しては無駄だよね。俺の手がシズちゃんの掌まで辿り着く。そして、彼の肌から生える凶器の表面をなぞり、柄を握り込むと一息にそれを引き抜いた。
「っう、ぁ」
濡れた音が響き、シズちゃんの掌から血が溢れ出てくる。その下にあった書類が何枚か赤い血液で染められて判読不能になってしまったが、紙に残しておくほどの内容ではなかったのでそのまま放っておくことにする。俺は彼の胸に肘をついて上半身を起こし、びくびくと痙攣する薬指や小指と、何かを耐えるように唇を噛むシズちゃんの顔を交互に見比べた。
「痛い?」
赤い割れ目に爪を食い込ませると、シズちゃんは低い声で呻いて身体を身じろぎさせた。
「それとも気持ちいいのかな?」
標本のようだったな。
と、先ほどまでの彼の姿を思い出してみる。そのままにしておくのも良かったかもしれない。ここへ訪れる人間の反応を想像して俺は唇を緩ませる。中々悪趣味じゃあないか。
「よかったね」
渇いた指先がゆっくりとシズちゃんの中に沈んでいって、鮮やかな血の匂いがどんどんこの部屋を満たしていく。からかうように関節を曲げると、シズちゃんの身体が魚みたいに跳ねた。
「まるでセックスみたいだなあ」
愛撫みたい。カッターシャツの釦を歯で引っ掛けて引きちぎると、うっすらと皮膚が盛り上がった一閃があった。
「死ね」
シズちゃんの顔がぐしゃぐしゃに歪んで、呪いのように言葉を吐き捨てた。水を張った瞳の中に笑う俺がいる。掌の裂け目から指を引き抜くと、再びそこにナイフを突き入れた。シズちゃんは小さな悲鳴をあげて荒い呼吸を繰り返す。
「そうだなあ、シズちゃん、シズちゃん聞こえる?何故だか今、俺は君にとても優しくなれる。だから、教えて欲しいことがあるんだ。俺が誤って君を愛さないように、正しい枠組みの中で呼吸ができるように、」
と、囁いて俺はベルトに血のついた指をかけた。
俺の左手は、まだシズちゃんの手を握ったままだ。
100317