その、心
扉越しに聞こえた言葉に、ノックをし掛けた手が止まる。
途端どくどくと早鐘を打つ心臓を抑えるように胸元を握り締め、シャロンは息を潜めた。悟られぬよう、けれど父とそしてもう一人──今ここに居るのはフッチのはずだ──の声を決して逃さぬよう耳をそばだてながら。
「よしてくださいよ、もう! 僕はまだまだ未熟ですし、残念ながら相手もいません」
「ならウチのシャロンなんてどうだ! ははは」
自身の名が出たことにひくりと反応する。
ほんの数秒にも満たない間(ま)に、ほんの少しの期待を寄せて胸が高鳴った。
けれど。
「まさか。シャロンはかわいい、妹みたいなものです。愛していますし彼女も僕を愛してくれていますが、それはそう──家族愛であって。これから大人になってゆくお嬢さんには、もっと強くそして優しく、彼女を大切に慈しんでくれる──そんな男性が相応しい」
「フッチより強い男なんぞ、ここにはいないじゃないか」
私以外な、と笑うヨシュアに同じように笑んで、フッチは続ける。
「世界は、広い。シャロンはまだほとんどここから出たことがないから知らないだけで、正式に儀式を経て竜を得れば、己の矮小さと世界の広大さを知るでしょう。そうして僕の元を飛び立ってゆくんです」
そう言って、膝の上で組んだ指を見つめる。この手で守り育てた少女は、いつかそうして旅立ってゆくのだ。
ヨシュアはその姿をふうと眺め、苦笑交じりに呟いた。
「自覚なしとは、お前も存外難儀な奴だなあ。誰に似たんだか」
「なんですか、それ」
笑い合う二人の声を聞き届けたシャロンは、力なく腕を下ろし、冷えた心のままその場を後にした。熱く零れる雫を残して。
ほどなくしてフッチが自室へと戻ると、扉の前にシャロンが座り込んでいた。曲げた膝に顔を埋めているためその表情は見えない。いつものあのはた迷惑な── 良く言えば賑やかな──明るさは鳴りを潜め、深く影を落としている。何事かと、半ば腰を下ろしその肩に手を置き、声を掛ける。
「どうしたんだい、お嬢さん。いつもなら勝手に上がり込んでいるのに、こんなところで」
びくりと肩を震わせ、シャロンは顔を上げた。その表情は今にも泣き出しそうに見えた──のも一瞬、いつものように眉を吊り上げ頬を膨らませ、怒りを顕にする。
「おっそーい! 待ちくたびれて寝ちゃったじゃん!」
早く早く、とせかすようにフッチの腕を引き、室内へ連れ込む。
扉を閉めた途端シャロンはくるりと振り返り、正面からフッチの胸に飛び込んだ。突然の行動はいつものこととはいえ、さすがに目まぐるしい。少女の小さな身体を受け止めはしたものの、フッチはずるずると扉伝いに座り込まされてしまう。
そのままシャロンは一言も発することなく、ぎゅうと腕に力を込めたまま黙り込んでしまった。
「シャロン?」
(こうして身体にはいくらでも触れられるのに)
「どうしたんだい、本当に」
(こうしてフッチの心臓の音だってすぐ近くに聴こえるのに)
ふるふると小さく首を振るだけの腕の中の少女に苦く笑みを浮かべ、フッチはその髪を撫ぜた。
(こんなにもフッチの心が遠いよ)