アウト
バッターボックスに立ちながらも一瞬そっちに気を取られ、空振りしたならまだよかったが、山本はもっと大きなミスをした。
やってはいけないこと。
打球はホームランの勢いで応接室の窓ガラスに向かう。
これは勝つとか負けるとかではない、野球部全員の命にかかわる一大事だった。
校庭を悲鳴がこだまする。悲しいかな、顧問の先生の声も含まれていた。
そのとき、窓ガラスが開いた。
ぱし、と乾いた音とともに人影がその打球を受け止める。
そのスピードは球の勢いをまったく感じさせない、すごいものだった。
しかしみんなあまり喜ばなかった。
あんな離れ業ができる人間(たぶん人間)はひとりしかいないわけで。
窓ガラスが割れなかっただけのことで、自分たちの絶対的な窮地は変わっていなかったからである。
結局、部活はその場で終了し、代表で山本が謝ってくることになった。
顧問の先生も周りも止めたのだが「自分の打球だし謝ってくる」と山本は平気な顔をした。
「一応むこうを危ない目にもあわせたわけだし」
「いや、お前がいくってことはもっと危ない目にあうっていうことだぞ!?」
「平気なのなー」
とにかく、筋は通さないとと思った。
打球は校舎に向けない。並森の掟である。
あと、なんであんなところに立っていたのか。
スポーツ観戦という柄じゃなかろう。
山本は念のためバットを持って応接室に向かった。
「ひーばり」
ノックして、返事を待たずに応接室のドアをあける。
元から返事をする気のない主はソファからいきなりさっきのボールを投げてきた。
本気である。
顔の目前でキャッチしながら、心構えをしておいてよかった、と思う。
最も、もう一段階心構えはしてあるが。
「咬み殺されにきたの」
「ちげーよ、謝りにきたんだよ」
校内といえど、町全体で見ても、雲雀にこんな口調で話しかける人間は少ない。
しかし雲雀からしてみても、そんなことはどちらでもよいようだった。
「ごめんな、雲雀」
「アウトだよ」
雲雀には野球なんてちっとも似合わないので、そんな言葉に違和感を覚える。
「何、その顔」
「いや、雲雀でも野球とか知ってるんだなーって」
「何それ。バカにしてるの」
「違うよ」
「どっちにしても」
咬み殺す。
言葉とともにとびかかってきた雲雀のトンファーが振り下ろされた。
すんでのところでバットで受けとめる。
今のはうまく避けられはしなかっただろうから、バットを持ってきてやっぱり正解だった。
「うまくかわしたね。次はどうかな」
こういうときがやっぱり一番雲雀らしく、いきいきとしていると山本は思う。
ただ、勝負にきたわけではないことを忘れてはいけない。
結局いつもこうして、勝負になってしまうのだけども。
「野球とか好きじゃなさそうだったから言っただけだろ」
「確かに好きじゃないよ、ああいう群れていないとできないスポーツは」
続く攻撃を、なんとか防ぎながらさっき感じた視線の意味を聞いた。
「じゃあ、なんで見てたんだよ」
「っ!!」
ばっ、と雲雀が体を離す。
背中を向けて窓側に立つ雲雀が何も言わないままなので、間があった。
「なあ、ひば…」
「…もう、帰っていいよ」
「え」
「帰っていいって言ったんだ。何度も言わせないで」
顔をこちらにむけない雲雀の背中は別に寂しそうでもない、勝手な台詞もいつもどおりなんだけども。
つい、言ってしまった。それは自分にとってのあまりにも当然の台詞だった。
「なんでだよ、いっしょに帰ろうぜ」
お互いの当たり前の極地、なのに、振り向いた顔はあまりにも、らしくない驚いた顔すぎて。
「…ウトなのは」
「ん?」
「アウトなのは、僕のほうかもね」
その言葉の意味が、山本はまだわからなかった。