綺麗だった事だけは覚えてる
ぶちまけられた氷水の端に、意図せず触れた時だとか。
もう少し、ぎりぎりで車にぶつかりそうになった時だとか。
彼女の手が、自分の額に伸びてきた時だとか。
「鬼道は?」
「珈琲」
「じゃあ、珈琲二つで」
向かいに座る彼女の、昔と変わらない姿。
それは出会った時から変わらぬ光を放っている。
サッカー。それは自分と彼女との繋がりだ。
自分の唯一、とは言えないがそうかもしれない(円堂は多分、七割方そうだ)それで繋がりがあるのは嬉しい。
だが、言ってしまえばそれ以外に繋がりなんてない。なかったのだ。
「なんか話してよ」
「なにを?」
「うーん…」
「お待たせしました、」
彼女が肩を竦める。確かに光を宿した瞳が、こちらを見つめていた。
ひやりとするのだ。
彼女の瞳が、こちらに真っ直ぐ向いている時だとか。
考えに沈むとき、ふいに首へ彼女の腕がからむ時だとか。
彼女の手が、自分の額に伸びてきた時だとか。
「好きだ」
「知ってるよ」
「…」
「ふふ、嘘だよ」
珈琲を口に流し込む。本当に流れていっただけで、ふわふわして、
味が分からなかった。
傍にある窓から光が通り抜けていった。風は無かった。何も聞こえない。
目を綴じれば、なにもかも目の前からなくなってしまったような奇怪な錯覚。
「「付き合ってください」」
そして彼女は珈琲を飲み干して手を挙げた。ケーキを頼んでいる彼女を見て、俺は正直訳が分からなかった。
彼女の髪とは正反対な色で思考は螺旋を描いている。
どこか幸せだった。
ひやりとするのだ。
彼女を見る時だとか、話す時だとか、一緒にいる時だとか。
でも、いつだって彼女は輝いていた。それだけは覚えている。
作品名:綺麗だった事だけは覚えてる 作家名:ろむせん