二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

救世主

INDEX|1ページ/1ページ|

 
『――、――――』

受話器から聴こえて来た声は、決まり文句を呟こうとした唇の動きを停止させ、正常な思考に容赦なく覆い被さった。危機感を覚える間も与えず、今度は聴覚が働かなくなっていく。次いで歩み、瞬き、息遣いと、次第に全身が侵され始め、震える事さえ許されない。たった一言の羅列がざあ、と音を立てて津波と化し、それをまともに被った少年はやがて街から取り残された。
孤独だと認識するのに時間は掛からなかったが、正臣は未だ何も考える事が出来ずにいた。考えられないので当然、反応する事も出来ない。その一瞬だけは本能のままに大気を吸い、吐き出して、分からないうちに生きていた。何の目的もない。かろうじて分かるのは脳内を巡る彼の声だ。ただ、いつもならうるさいと思うはずなのに、ばかじゃないのかと思うはずなのに、肝心な所が大きく欠けている。巡るだけだった。ぐるぐる、ぐるぐる。視界がぶれる。動けない。揺れもしない。
口を半開きにして固まっている少年を流れるような動作で人々が避けていく。時に迷惑そうに、または不思議そうに。しかしそんな事に構っていられる程本人は冷静ではなく、ごくりと生唾を呑み込んで今漸く唇を閉じていた。こめかみから頬、そして顎へと辿り着いた汗が不安定に留まっているが、それに気付くのはまだ先の事になるだろう。
抜けるような青空が高層ビルに阻まれて狭く小さくなっていた。そこからの太陽光線は炎天下に比べれば優しいものかもしれないが、ともかく暑い事に変わりはない。たまらないとばかりにアスファルトが反射するのは、人間には辛い、夏の匂いを伴った熱である。故に、いくら日陰になっていたとしても、ここで立ち止まって携帯で会話をしているなどという事は自殺行為に等しい。人々は皆知っていたから、誰も立ち止まらない。そんな中で少年だけが立ち止まっているのは、何とも異様な光景だった。空想でも現実でも置いて行かれた少年は、どうしたら良いのかも分からずに、滑り落ちそうな携帯電話をぎゅ、と握り締める。

「、ちくしょ」

不幸中の幸いか、その行動が正臣を正気に戻した。ぼやけていた視界が鮮明になり、耳鳴りに似た音が止まる。酸素を欲する身体に思い切りそれを叩き込む最中、漏れた声は擦れており、喉が渇いてひりひりした。派手に噎せたが、気に留める者は誰もいない。
通話は切れていた。ちくしょう。もう一度呟いてから、汗に濡れた携帯をパーカーの裾で適当に擦り、ポケットに突っ込んで駆けた。ばからしいと思いながらも、鉛のように重かった両足は驚く程軽い。現金な奴だ。結局、どうしようもない。考えても考えてなくても最初からひとつしかないのだ。唐突に走り出した少年はサラリーマンやOLなどに肩をぶつけるのも構わず宛の無い道を行く。あの男がヒントを与えるなんて、期待もしていなかったが。
だから数秒もしないうちにフードを引っ張られた時、何の受身も取れずに前方へつんのめった。

「…っ」
「どこ行くの。そんなに慌てて」

再び噎せる正臣の肩を抱き、くるりと反転させて向き合わせる電話の主は本当に何でもないような顔をしていた。初めこそ目を見開いて驚きをあらわにしていた正臣だったが、それも次第に失われていく。少しでも心配した自分が馬鹿だった。視線で訴える少年に男はただただ笑うのみ。そしてふらりと、

「?」

覆い被さる。
何も見えなくなった正臣が何か言う前に、臨也は長い長い息を吐いた。それが鼓膜を刺激する。人込みがざわついたのは一時的なもので、問題ないと判断したのか間もなくふたりを呑み込んでいく。

「   」

仮に正臣が男の事をよく知らない状態でこの状況に直面していたならば、何も考えずに渾身の力で彼を突き飛ばし罵倒を浴びせた後にひとしきり嘲ってから逃げ出していただろう。正臣自身も、そうだったらどんなに良いかと一旦現実から離れ空想を羨んだ。思い切り押し付けられた胸から、心臓のおとがする。少しだけ不規則に、速く。呼吸が乱れている。語尾に添えられた笑い声がいつもと違う気がする。残念なことに気のせいではない。

「…、退いて下さい」
「いやだって言ったら」
「せめて俺が動きやすい位置に移動して下さい」
「どうして」
「どうしてでも」

このひ弱野郎。
小さく呟いた一言に臨也が気付く様子は見られなかった。押し黙ったのち彼は正臣を解放し、その場に座り込むと、地面を睨みまた笑う。しかし今度は明らかに、どこか力なかった。

「俺は君のそういうところが嫌いだよ、正臣君」

少年は憤慨しない。そうですかと適当に相槌を打って彼のだらりと垂れ下がった手首を掴む。この猛暑に(さすがにジャケットは着ていないが)黒ずくめの格好をしている男は大変暑苦しく、出来ることなら触れたくはなかったというのに、少年は今臨也の手を掴んでいる。そうして乱暴に引くと、存外呆気なく立ち上がった男は僅かだが、だらしなくよろめいたのであった。
そこで初めて、正臣は笑う。

「俺はあんたの全てが嫌いです、臨也さん」

人の流れが緩やかになりつつある、午後のことである。





(100317)
作品名:救世主 作家名:佐古