藍色
部下の声に振り返れば、ルブランが意外そうな顔で小さな包みを差し出している。
「ああ、捨てておいてくれ」
中を確認することもなく言い放つシュヴァーンに、ルブランは大きく首を横に振った。
「贈り物なら、せめて開けるべきです」
その言葉にはどこか必死な響きがあり、シュヴァーンは小さく首をかしげる。
「お前から、だったか?」
「そんな分けないでしょう」
驚きながら、ルブランは包みをシュヴァーンの手に無理矢理握らせる。
「よかったですね」
更に言葉を重ねるルブランにもう一度小首をかしげれば、ルブランは明るく笑った。
「最近元気がないようでしたので、少し心配しておりました。しかし、こうしてちゃんと、祝ってくれる方が入らしたのですね」
「祝う?」
「先週誕生日だったでしょ? 隊にいらっしゃらなかったので我々は祝えませんでしたが、他にもこうして祝ってくれる方が入らしたのかと思うと、自分のことのように嬉しくて」
何せ隊長は私達の誇りですから。
そう言って歩き去るルブランにもう一度首をかしげながら、シュヴァーンは自室へと戻った。
包みを見つめ、少し考えた後、彼はそれを開けてみる。
包みの下にあったのは小さな小箱で、それを開ければ藍色の髪結い入っていた。
『髪をとめても良いし、小太刀の束の所につけても・・・いい・・・から・・・』
思い出されたのは、真っ赤な顔で包みを押しつけてきた少女の言葉。
『ハリーが、今日が誕生日だとか言ってたから!』
『ほら、この前戦闘中に助けて貰ったし!』
『研究に没頭してるとき、見張り変わってくれたでしょ!』
言い訳を重ねに重ね、押しつけられた小さな包み。
『いらなかったら捨てて良いから』
もし捨てたら烈火の如く怒るだろうに、彼女の捨てぜりふはそんな物だった。
少しだけ微笑んで、シュヴァーンはそれを優しく拾い上げる。
だが思い出に浸る時間は長くは続かなかった。
「……シュヴァーン」
シュヴァーンを現実に引き戻したその声は、彼の主の物。
顔を上げれば、いつの間にか戸口に騎士団長であるアレクセイがたっていた。
彼は卑しく微笑むと、ゆっくりとシュヴァーンに歩み寄る。
「……バクティオンにゆくぞ。準備はすべて整った」
そしてシュヴァーンの手の中の髪結いをつまみ上げると、それを側のゴミ箱に投げ捨てる。
「お前には必要ない物だろう?」
言われて、彼は静かに頷いた。
彼は髪など結わない。
彼は小太刀など持たない。
ただ、血にまみれた剣を携え、いついかなる時も目の前の男の言葉に従うだけの、飾り気のない人形だ。
「私は先にゆく、兵を整えすぐ後を追え」
アレクセイは言葉を持たぬ人形を見て満足げにうなずくと、来たときと同じく、あっという間に姿を消した。
残された部屋の中、シュヴァーンは中身のない小箱に目を落とす。
藍色の髪結いより、空っぽなそれのほうがよっぽど自分にふさわしい気がした。
箱を包みに戻し、シュヴァーンはそれをゴミ箱に捨てる。
だがそのとき、包みの間から小さな紙切れが落ちた。
ゴミ箱の側に落ちた紙切れはノートの切れ端。面倒だと思いつつも、シュヴァーンは床に膝をつきながらそれを拾い上げる。
『いつもありがとう リタ・モルディオ』
へたくそな文字で。見ただけで彼女の物だとわかるその文字で、書かれていたのは感謝の言葉と彼女の名前。
律儀に名字まで書くところが彼女らしいと思ってから、シュヴァーンは側のゴミ箱に目をとめる。
捨てられた髪結い。
もう二度と触れることはないと思っていたそれと、距離が近づいていた。
髪結いを必要とする男に、彼はもう二度と戻ることはない。
これをくれた少女を裏切り、彼女の親友を連れ去り、その上今から自分は彼女に刃を向けに行くのだ。
目の前の髪結いは明日には屑ゴミと一緒に処分されるだろう。
髪結いだけではなく、彼の小太刀も、紫の羽織も、彼が『レイヴン』として生きていた頃の欠片はすべて、明日には何一つなくなっているはずだ。
「リタっち・・・」
なのに、口からこぼれたのは哀れなカラスのつぶやきで。
髪結いから無理矢理目を離したとたん、頭に浮かぶのはこれをつけて少女の前に立つ自分の姿。
「どう?似合ってる?」
そう言って笑えばきっと、彼女はこう答えるはずだ。
「バカっぽい」
きっと頬を赤く染めて、コチラの顔から目を背けて、彼女はそう言うはずなのだ。
そして最後はうつむいたまま、嬉しそうに笑ってくれるはずなのだ。
髪結いを拾い上げ、シュヴァーンはそれを握りしめる。
もう二度と彼女は自分に微笑みかけない。
自分も彼女の前にレイヴンとして立つことはない。
しかし許されるなら、この小さな欠片を抱いたまま死にたいと、消えゆく鴉は最後に願った。