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花の名は

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淡いピンク色の洪水が目の前いっぱいに広がっていた。風が吹くたびに花びらが、シャワーになって降り注ぐ。ほのかにいい香りがする。春はどうして、こんなにウキウキとした気分になるのだろう?
「日本! やっぱり、君のところの桜はすごいな! 空を埋め尽くすコットンキャンディみたいだ!」
「今がちょうど満開……を、少し過ぎたところですねぇ。桜吹雪が綺麗でしょう? 一番の見頃なんですよ」
 きっと、君と一緒だからだな。
 休暇中で暇だった俺に、日本から電話があったのは、昨日のことだ。

『今、桜がとても綺麗なんですよ。よろしければ、うちにいらっしゃいませんか?』

 日本に会いたいと思っていたので二つ返事で飛んできたのだ。日本の桜を見るのは久しぶりだった。
 この時期はいつも忙しかったから。穴場だという桜の名所は人影もまばらで、のんびりすることができた。そろそろ痛くなってきたので、見上げていた首を戻すと、目の前を花びらが落ちていく。
 パクっ
 なんとなく、食べてみた。
 ……甘くないな。
 くすくすくす
 振り返ると、日本が笑っていた。
「アメリカさん、お腹こわしますよ」
「さっき食べたサクラモチは美味しかったんだぞ」
「桜餅に桜の花は、入っていないんですよ。餅に巻いてあった葉っぱが桜の葉なんです」
 そう言って、また微笑む。子供扱いされているみたいで、ちょっとむっとする。でも、桜の中で笑う日本は綺麗だな。
 ……確か日本では桜の木にもカミサマがいるんだっけ?
「日本、桜にもカミサマがいるんだろ?」
「ああ、はい。木花咲耶姫ですね。たいへん美しい女神様ですよ」
「へえ、女神なのかい。うちの彼女とどっちが美人かな?」
「ふふ、さあ、どっちでしょうね?」
「コノハナサクヤヒメが日本くらい美人だったら、残念だけどうちの負けなんだぞ……」
「なっ……」
 ほんのり桜色だった日本の顔が、耳まで一気に真っ赤に染まる。
「なななな、何を馬鹿なこと言ってるんですか!」
 本当にそう思うんだけどな? きょとんとする俺を置いたまま、日本はスタスタと歩いていってしまった。
「あ、待ってよ! 日本」
 あわてて追いかけて、並んで歩く。
「何を怒ってるんだい」
「別に怒ってないですよ。ただ……」
「ただ?」
「恥ずかしいんですよ……」
 目を伏せて、小さな声でゴニョゴニョと言う。やっぱり日本は可愛いんだぞ。
「それより、ぜひアメリカさんに見てもらいたい桜があるんです」
 まだ顔は赤かったものの、だいぶ落ち着いたみたいだ。笑顔が戻っている。
「桜? もう、いっぱい見てるんだぞ」
「桜にもいろんな種類があるんです。ここのはソメイヨシノですね」
「へえ」
「他にもエドヒガン、シダレザクラ、コマツヒガン。本当にいろんな桜があるんですよ」
「君は本当に桜が好きなんだな」
 俺のことも、それくらい好きなら嬉しいな。しばらく日本の後をついていくと、景色が開けた。
「ここは……」
「覚えていますか? このあたりもだいぶ変わりましたから……ソメイヨシノは全部、ここ4〜50年に植えられたものなんですよ」
 街を見渡せるこだかい丘。街の様子はすっかり変わっていたけど。
「あのときの場所かい?」
「ええ」
 俺と君が相対したあの丘。あれから、半世紀以上がたったんだね。
「アメリカさん、こっちですよ」
 日本が呼んでいる。ちょうど丘の真ん中あたりに、以前はなかった数本の桜の木があった。近づいて、花をよくみると、花びらの先に向かってピンクのグラデーションが濃くなっているのがわかる。
「へえ、とってもキュートな花だね」
「ぶっ」
 ぶ? 何かと思って日本を見ると、下を向いて口元を手で押さえている。肩がぷるぷると震えていた。
 もしかしなくても、笑うのをこらえているよね。
「なんだい、俺、なんか変なこと言ったかい」
「いえ、すみません。あのですね……」
 どうにか笑いをこらえた日本が楽しそうに言う。
「この桜の名前は、アメリカって言うんですよ」
「えっ……」
「私もとてもキュートだと思いますよ。この桜も、……そしてあなたも」
 顔が熱くなっていくのがわかる。きっとさっきの日本みたいになってるんだ。
「アメリカさん」
 日本が俺の肩に手を置く。ゆっくりと顔が近づいてきたので、目を閉じた。
「ん」
 桜の香りがふんわりと鼻をくすぐった。


 END
作品名:花の名は 作家名:チダ。