そして少年は愛を知る
ああ、そうか。俺は死んだのか。
真っ暗で何も見えない。
ぼんやりと焦点の合わない目は、それでも希望へと向かっている。
何かを探し求める様に。
あの日、閉じ込められていた時には、晶馬が居てくれた。
飢えていたけれど、きっとそれだけで救われていたんだ。
だからあの時、晶馬と運命の果実を一緒に食べようと思った。
こいつは俺が守る。使命感のような炎が俺を揺さぶったのだ。
そして、必然的な巡り合わせで、罰が輪り始めた。
俺が廻してしまった最悪の運命。
「だから、俺は一人ぼっちになったのか」
俺が背負うべき罪。
誰とも分かち合えない罰。
ふっと目を閉じようとした瞼が、純白の眩さに遮られる。
「僕がいるじゃないか」
聞き覚えのある柔らかい声音に打たれて、重い瞼を無理矢理上げる。
霞んだ視界に、蒼い波が躍っていた。
「しょう、ま…」
「うん。冠葉、待たせてごめん」
黒が白に飲み込まれていく。
手を伸ばせば届く距離に、晶馬が居る。
それだけで俺の震える脚は真っ直ぐに突っ張っていられた。
「晶馬、お前…」
「冠葉に言わなきゃいけない事があったから」
「…?」
にっこりと笑い、俺の掌を優しく両の手で包む。
「冠葉、辛い思いをいっぱいいっぱいさせちゃって、ごめん」
「晶馬…っ」
違う。俺は、胸が張り裂ける思いなんか凌ぐくらいの幸せを貰った。
だから、謝らないでくれ。否定しないでくれ。
握り締められた掌が冷えて凍りつく。
それを感じ取ったのか、晶馬の包み込む掌の温もりが一層強くなる。
「ずっと言いたかった。ごめん、そして…ありがとう」
たった五文字の短い言葉の中に、零れ落ちるたくさんの想い。
真っ直ぐと晶馬を見詰める。澄んだ瞳がそれに気付いてやんわり微笑む。
愛を分け与えてくれて、ありがとう。
僕の家族になってくれて、ありがとう。
兄として守ってくれて、ありがとう。
いっぱいの笑顔を、ありがとう。
愛を思い出させてくれて、ありがとう。
全部全部、ありったけの想いを乗せるよ。
「愛してくれて、ありがとう」
やっと言えた、と晶馬が目を細める。
そして、何もかもを包み込む笑顔で、泣いた。
「冠葉が愛してくれたから、僕はやっと愛する事が出来たんだ」
血の繋がりの無い愛しい妹を、そして何より、守りたいと、傍に居て欲しいと願った彼女を。
握り締める手が、震える。
「だから、一人で背負わないで。愛も、罰も、すべて分け合うんだ」
そうだろ、と晶馬の唇が柔らかく弧を描いた。
悴んだ掌が、漸く人の温もりを思い出す。
『冠ちゃん、愛されてもいいんだよ』
陽毬の声が聞こえた気がした。
はっと顔を上げると、愛したその子とは違ったけれど、同じように慈しんだ笑顔が俺を照らしてくれていた。
「今度は僕が冠葉を守ってあげる」
すっと優しい手が離れていったかと思うと、次の瞬間もっと大きな慈愛に包まれていた。
全身が、心が、心地良い温かさに溶けていく。
「一人じゃないよ」
冠葉も、僕も。だから、もう迷子にさせたりなんかしない。
ぎゅっと背に回された腕の細さに涙がこみ上げる。
宙に浮く腕は彷徨って、だけど確かに愛を分け合ったこいつを求めていた。
もう、俺は充分救われた。分かったんだ、だから、俺はもう逃げない。
覚悟を決めて、掌で晶馬を探る。
「冠葉を、愛してる」
愛する事を求め、愛される事を知る。
俺は与える事に執着しすぎて、きっと見えていなかったんだ。
それを、陽毬が、晶馬が、教えてくれた。
俺は本当に幸せ者で、大馬鹿野郎だ。
自分自身への憤りも増して、晶馬の身体に回す腕に力が籠る。
それでもちゃんと受け止めてくれる晶馬の母性の様な優しさは、変わらずここに在る。
きっと、この先俺たちがどんな道を歩もうと、変わる事のない不偏の愛。
「晶馬…ありがとう」
やがて漆黒は塗り替えられ、世界は真っ白で穏やかな色に染められる。
心がじんわりと和らいで、溶ける。
そっと閉じた瞳の奥で、陽毬が笑っていた。
「俺も晶馬を、愛してる」
その言葉を合図に、ゆっくりと身体が離される。
そして、どちらからともなく腕を伸ばし、互いの掌が自然と繋がっていく。
二つが一つになって、重なる心。
もう、迷ったりなんかしない。
「行こう」
「うん」
俺たちは微笑み合いながら光に呑まれていく。
(一緒なら、何処に辿り着いても怖くないね)
(そうだな。―――なぁ、もし行けるとしたら、何処に行きたい?)
(ん?そうだなぁ…僕は―――――)
そして僕らは旅に出る。
愛を廻す旅は果てしなく長いけれど、君と一緒なら、不可能も可能に出来るから。
いつかまた、笑って言えるように、今はただ歩き続けよう。
『愛してる』と、そう言える日まで。
作品名:そして少年は愛を知る 作家名:arit