engagement
正十字学園の校舎内を、杜山しえみは歩いていた。
廊下に並んだ窓は黒く塗りつぶされて見え、あたりは静かである。
今は冬休み期間中で、そして、今日はクリスマスだ。
祓魔塾の同級生たちと学生寮でクリスマスパーティーをして、それが終わっての帰り道である。
クリスマスパーティーではケーキを食べたりプレゼント交換をしたりした。
楽しかったなと、思い出して、しえみは微笑んだ。
扉のまえで立ち止まった。
鍵を使って、扉を開ける。
冬の夜の冷たい風が吹きつけてきた。
一瞬、しえみは眼を閉じて、それから、ふたたび眼を開ける。
闇の中に、橋が見えた。
しえみの暮らす祓魔用品店フツマ屋まで続く橋だ。
風の吹く橋へと、しえみは足を踏みだした。
寒い。
雪が降ってくるかもしれない。
しえみは着物の上にかけているショールを胸のまえでぎゅっと握りながら、橋を歩く。
吹く風に、袖が揺れてパタパタ鳴った。
ふと。
見つけた。
橋の欄干に、だれかが腰かけている。
アマイモンだ。
八候王のひとり、地の王と呼ばれる悪魔である。
その大物の悪魔が、しえみを見ている。
眼が合った。
だが、しえみは笑った。
「こんばんは」
しえみはアマイモンの近くまで進んでいき、声をかけた。
アマイモンは欄干の上に立った。
「こんばんは」
そう言葉を返すと、口を閉ざし、しえみをじっと見る。
しえみは笑顔のまま、何気なく視線をアマイモンの立っているのより向こうにやった。
「……綺麗」
つぶやいた。
夜景が見える。
正十字学園町の灯りだ。
つい見とれてしまった。
アマイモンが動いた。次の瞬間には、しえみの隣へと降りていた。
さらに、しえみを捕まえる。
しえみは驚いて声をあげた。
アマイモンに片手で軽々と抱きかかえられていた。
どういうことなんだろうかと、しえみは困惑する。
しかし、アマイモンはなにも説明せず、しえみを抱きかかえたまま動く。
ひょいっと欄干の上に飛び乗り、どんどん欄干の上を進んでいく。
アマイモンは欄干の端のほうまで行くと、高く跳躍した。
「!」
しえみは眼を見張った。
まるで夜空に向かって飛んでいくようだ。
やがて、アマイモンは着地した。
正十字学園の塔のてっぺんに、である。
アマイモンはしえみを抱きかかえて塔のてっぺんに立っている。
その顔をしえみは眺める。
少しして、アマイモンはしえみのほうを見ないまま、口を開いた。
「ここからのほうが、よく見える」
その眼は地上に向けられている。
ああ。
そういうこと。
しえみはアマイモンの意図を理解し、表情をやわらげた。
そして、眼を地上のほうへとやる。
いくつもの町の灯りが、色とりどりの宝石が輝いているように見える。
「本当」
しえみはアマイモンに同意し、さらに言う。
「見せてくれて、ありがとう」
アマイモンがいなければ、この光景を見ることはできなかった。
感謝を素直に口にした。
その直後、アマイモンの抱く力が強まったように感じた。
「……しえみ」
呼びかけられて、しえみはアマイモンの顔を見た。
アマイモンもしえみを見ている。
しえみを抱いているのではないほうの手が動いた。
そして、しえみの手を捕らえ、なにかを握らせた。
自分の手のひらの中にあるものは、なんであるのか。
しえみがそれを確認するために手を開くまえに、アマイモンは言う。
「ボクはこれからずっと、アナタを守ります」
その眼差しは真剣。
アマイモンは続ける。
「でも、見返りは、なにもいらない」
そう告げると、しえみがなにか言うのを待たずに、塔のてっぺんを蹴った。
今度は跳びあがるのではなく、下降する。
やがて、橋の上に着地した。
アマイモンはしえみをそっと橋の上におろした。
しえみは橋の上に立つ。
そのあと、アマイモンはしえみから離れた。
アマイモンは去っていく。
ひょいっと橋の欄干に飛び乗った。
「待って!」
しえみは呼び止める。
アマイモンが橋の欄干の上に立ち、しえみを振り返った。
そんなアマイモンに対し、しえみは手を挙げて見せる。
右手には、さっきアマイモンに渡された物を持っている。
銀色の指輪。
それを、左手の薬指にはめていく。
アマイモンは眼を大きく開いて、その様子を見ている。
しえみは緊張し、自分の頬が堅くなっているように感じる。
けれども、精一杯、笑顔を作る。
そして、しえみはアマイモンに告げる。
「越えるのは、恐くないよ」
アマイモンが欄干の上から降りた。
橋を歩く。
近づいてくる。
だが、しえみは動かずにいた。
もう手を伸ばせば届く距離まで来ている。
すぐそばまで来ている。
アマイモンが立ち止まった。
恐くない、なんて嘘。
本当は、やっぱり、ほんの少しは恐い。
それでも、しえみは受け止める。
誓いのキス、を。
作品名:engagement 作家名:hujio