林檎
「大嫌いだ」
林檎
「なっ……」
「馬鹿、お前じゃない。そいつだ」
呆れたようにマリクが右手で指し示すのは机の上に置いてあるエデンの果実。
内部から漏れ出る光は弱々しくも、その光が消える気配は一切無い。
一度だけ、渾身の力を込めてマシャフ砦の最上部から地面へと叩きつけてはみたが傷一つ付かなかったもの。
マリクは何としても始末するべきだと幾度となく主張するが、俺は未だそれの処理方法を決めかねている。
「なんでそんなものを机に置いてるんだ」
マリクが右の指先でエデンの果実と並べられた林檎を弾く。
転がった林檎はエデンの果実にコツンと当たって動きを止めた。
「……なんとなく、だが」
まさか床に転がしておくわけにもいくまい。
果実の横で不格好に横転した林檎を持ち上げて、ちゃんと立てて置き直す。
二つ並んだ果実はまるでそこにあるのが当然のように不思議なくらい風景に溶け込んでいた。
「なんとなくでそんなものを置くな」
俺の返事を聞いてマリクの眉間の皺が深くなる。
そいつらをさっさとどっかに持っていけという口調には分かりやすく苛立ちが滲む。
まあエデンの果実の近くに林檎を置くなんて些か不謹慎というか、ブラックなジョークだったかもしれないが。
それにしたってその反応は過敏過ぎる気がする。
「なんだ、マリク。一体何を怒ってる」
疑問を口に出すとマリクは一瞬気まずそうに口を噤む。
原因というより言い訳を探しているような沈黙。結局言葉が見つからなかったのか「何も怒っていない」なんて一番無理がある発言をして、頼んでいた資料をどさりと乱雑に机に置いた。
勢い良く置いたせいで飛んでしまった何枚かの紙片も気にせず、マリクはそのまま背中を向けて早々に部屋を出ようとする。
「マリクッ!!」
慌てて袖を掴んで引きとめる。
こんな雑用に使ってしまった事だろうか、エデンの果実の始末を付けないからいい加減苛立っているのだろうか、それとも昨日地図を描いているときに唐突に声を掛けたせいで手元を狂わせてしまった事だろうか。いや、しかしあれはもう散々謝っているはずだが……。
「手を離せアルタイル!」
「駄目だ、原因があるなら言ってくれ」
「いいから手を離せ!此処にいたくないんだ!」
「何故だマリクっ!やはり俺のせいなのか!?」
「違うっ!ああくそっ、お前の事は愛している!だから離せ!!」
乱暴な言い方だったが、想定外の言葉に思わず力が緩む。
マリクはその隙を見逃さず、自分の油断に気付いた時には一瞬で扉の向こうへ消えていた。
現役から退いたとはいえ、その素早さはまごうこと無くアサシンのそれだ。
「林檎がッ!!……っ嫌いなんだよ」
「……なんだって?」
「俺は林檎が嫌いなんだ!二度とそいつを近付けるな!!」
扉の向こうから聞こえるやけっぱちな声。
どしんどしんと大きな足音が遠ざかっていくのを聞きながら机の上にある二つの果実を見比べる。
片や妙に光る妖しい物体、片や丸く赤く瑞々しい、俺にとっては美味そうにしか見えない果実。
「……お前の方がお嫌いだそうだ」
ローブの袖で擦ってから齧り付く。甘味と酸味が丁度良いバランスで口の中に広がる。
まあ、とにかく後でマリクに桃でも持って行ってやろう。知らなかったとはいえ、悪い事をしてしまったからな。
おまけに投げやりに言われた「愛してる」を俺からも倍返しにして。