ビア アンド ガーデン
互いに目が覚めると同時に誕生日おめでとうを言い合って始まった、とある一日。
昼下がり、喉の渇きを覚えて何の気なしに寮の中を厨房へ向かう。
立て付けの悪い扉を開けて食堂の奥、厨房のシンクで水を汲もうとして、作業机に置かれたものに雪男の目は釘付けになった。
「なんだこれ」
それはこの寮では見慣れない、白地に黒のラベルが印刷された缶。ラベルの下には正々堂々と誰はばかることなく『生ビール』と書かれてある。しかも。
「……開いてる」
燐の手作りであろうケーキの横に置かれたそれは半分がた減っていた。酒癖と言われるとシュラを思い出すが、彼女は燐と雪男の住むこの古びた男子寮に来たことはないはずだし、厨房で酒を飲む理由も見あたらない。
ふと横を見れば燐がたまに使う深手の鍋の中では何かを煮込んでいる最中のようだ。火は止めてあるがまだ湯気が立っているところを見ると、燐はついさっきまでここにいたのだろう。
「まさか兄さん、お酒飲んだんじゃないだろうな」
口にするとふいに不安になって、雪男は厨房を出て燐を探しに出た。
まずは屋上、屋根の上に登ってみるがいたのは気持ちよさそうに午睡しているクロだけで、燐の姿はなかった。
途方に暮れてぐるりと辺りを見渡す。すると。
「――いた」
燐は寮の裏庭――といっても誰も手入れする者がいないため今は朽木が折り重なっているだけである――をうろうろとうろついていた。
「兄さん!」
声を張り上げてみるが、燐に気付いた様子はない。
まずい。もし酔っぱらった状態で寮から出て誰かに見つかったりしたら。聖十字学園は一応一流校なのだ。素行不良は最悪、退学をも招きかねない。
雪男は幸せそうに寝たままのクロを置き去りに、大あわてで屋根から降りて階段を駆け下り裏庭へと辿り着く。
「雪男」
燐が驚いた顔で振り向いた。
「なんだよお前、汗だくだぞ」
「兄さんこそ、お酒、飲んだの!?」
「ハァ?」
燐は片眉を上げて雪男をこころもち下から見上げてきた。
「台所!ビール置いてあったじゃないか」
「ああ、あれか。シュラに頼み込んでもらってきた」
あっけらかんと答える燐に、アルコールの影はないように見えるが、まだ油断できない。
「まさか、昼間っからお酒飲んだりしてないよね。流石の僕もそれは見過ごせないよ」
「ンな訳あるかよ!」
「じゃあ何で、ビールなんか置いてあったのさ。しかも空いてたし、減ってもいたよ?」
「あー」
燐が面倒くさそうに雪男に背を向けると顔だけでこちらに振り返った。
「料理に使ったんだよ。そういう料理があるんだってば」
「料理……?」
「そ。沸騰させればアルコールは飛ぶし、ノー問題」
そう言われると、そんな料理もあったかもしれない。というか料理の世界にはうとい雪男だが、コーラで肉を煮込んだりするというのもどこかで聞いたこともあるし、ビールでもあり得るのかもしれないと納得しかけたのだが。
「じゃ、確認していい?」
つかつかと燐のまん前に歩み寄ると、その腰に手を当て引き寄せて、額と額をぶつけあうように顔を近づけた。
「アルコール臭いよ」
「嘘だろ!?飲んでねーよ!!」
「うん、嘘」
雪男だってアルコールの匂いなどよく知らない。要は理由が欲しかっただけだ。
「確認させて?」
答えは聞かずにふいをついて燐の唇に自らのそれを押し当てた。燐は一瞬身を竦ませたが、口腔内を翻弄する雪男の舌の動きと共に緊張を解き、雪男の胸に手を添える頃には吐息に甘いものが混じり始める。
「――っ、いい加減に、しろっ!」
少し上擦った声で燐は手を前に突きだして雪男の上体をひき剥がした。
「だ、誰か来たらどうするんだよ!」
「今は冬休みで、寮には二人きりだよ。誰が来るってのさ」
「そーだけど……」
「で」
燐の腰から背中を掌で撫で上げる。わざと扇情的に。
「続き、どうする?」
燐にはこらえ性というものがない。一度焔が点くともっと先を求めずにいられない性分であることを、雪男はよく知っていた。快感にうっすらと染まった燐の頬が更に紅潮する。
「……っ、なんだよ!折角……!」
「?折角?」
「人が、ケーキまで作ってあとはディナーで、美味いもん食わせようって思ってたのに――仕込み時間が足りなくなるじゃねーかよ!」
「ああ」
そんなこと、と雪男は怯むことなく言ってのけた。
「今は兄さんが食べたい」
そして燐の指に己の指を絡ませる。
「ばっ、馬鹿かテメーは。恥ずかしい、奴」
口ではそう言いながらも組んだ手をはねのけようとしない燐の唇に、雪男はもう一度口付けを落とした。
雪男にとってそれは、どんなケーキより甘美に思えた。
[終]
作品名:ビア アンド ガーデン 作家名:y_kamei