無知が猫を苦しめる
ゆったりとした翼の動きは見せつけるようでもあり、鋭い声に甘さを含めて歌う。視線は何もない空へ投げ、あるいは此処にいない誰かを想うように伏せられる。
「見るなぁああああああ!!」
それが此方の存在を認識した途端に短剣を投げつけてきた。普段なら投擲されるのはアルマジロなのだが今回は何故か鋭利な刃物、しかも狙われたのは眉間。当たれば致命傷になりかねないので避ければ、カッ、と良い音を立て避けなければ命中していただろう短剣は入り口付近の柱へと突き刺さった。
「あ、っぶねーな、何しやがんだ!?」
「忘れろ、今すぐに忘れろ!!」
さもなくば死ね、とばかりに伸ばされた手は首へ。いつだったかライオンが非力と詰ったオオワシとて猛禽だ、握力は強く爪は鋭い。その手が首にかかれば鬣のない首の皮膚は裂け、気道は潰されかねない。なのでその爪が咽喉へ届く前に手首を掴んで防ぐのだが、今度は牙もないのに噛みついてこようとした。
いつになく必死で、さらに殺気立っている。仕方なしに足を払い転倒させ仰向けにして動きを封じてしまおうと考えたのだが、こういう時に限って受身を取り、体勢を立て直すや否やその爪は首だの眼球だのに向けられた。
内乱では満身創痍にされたオオワシだがそれは数に負けたとか、パンダを庇っていたとか、手負いのところへ追い討ちをかけられたとかそういった理由がある。喧嘩程度の小競り合いは今でも続いている故にライオンは分かっている、オオワシは決して弱くない。しかし分かっているからこそ面倒だということも知っている、重傷を避けて黙らせる加減は結構な手間だ。それでもライオンは口角を上げた。喚くだけの陰口ではなく正面から挑んでくる威勢の良さは好ましく思えるし、長閑な西の平穏はともすれば退屈で、ならばこの程度の喧嘩で暇を潰すくらいは許せと拳を作り、構える。
「楽しそうね」
しかしその拳が振るわれることはなかった。舌打ちして入り口の方を見やれば常日頃から微笑みを絶やさない美女が立っている。
「シシシシロフクロウ……ッ!?」
「何をしていたのかしら?」
あれだけ殺気立っていたオオワシは彼女を見るなり飛び退き、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しい。まともな返答を出来そうにないオオワシをさっさと放ってライオンへと質問の矛先を変えてくるのだが、ライオンにはオオワシが攻撃してきた理由が分からない。
「知らねー。歌ってんの見たら短剣投げてきやがった」
「あら」
なので原因だけを簡潔に答えれば、シロフクロウはきょとんと眼を丸くした。
「そいつがいたのを知らなかったんだ!!」
「あらあら」
必死に誤解を解こうとしている様子のオオワシにシロフクロウは笑顔の印象が変わる。勿論、悪い方へ。
「私にも歌って貰おうかしら」
「な、何を言って……!?」
「ライオンには歌えて私には歌えないなんて、そんな馬鹿な話はないわよね」
だからいたのに気づかなかっただけなんだ、と喚くオオワシを無視し家主の許可もなくソファへとかけた彼女は、さあ歌え、とばかりに笑む。
「それともライオンから色好い反応が欲しいの?」
「それだけは絶対に要らない」
「で、どうだったのかしら?」
「あ?」
その笑顔のまま、シロフクロウはライオンへ話を振った。何故にコイツ等の妙な痴話喧嘩につき合わされなければならないのか、話の見えないライオンは先程とは異なる面倒臭さから適当に言葉を投げる。
「良かったんじゃねーの?」
その適当が仇となった。
「あらあらあら」
「この……ッ、バカ猫があああああ!!」
投げられたアルマジロが顔面へと直撃したが怒鳴ろうとした相手は、ああああああぁ、と間の抜けた声を発しながら床へとへたり込んだ。何が何だかさっぱり分からない。
「……説明しろ大賢者」
「他人に何かを頼む時は土下座するものでしょう」
「しねーよ。張っ倒すぞコラ」
「あら怖い」
口元を覆い笑う姿はたおやかで優美だが、それ以上に毒々しい。目元は笑んでいながらシロフクロウはしかし、獲物を狩る際の、敢えて嬲り殺すような眼を以ってライオンを見ていた。嫌な予感しかしないがだからといって、否、だからこそシロフクロウが説明を取り止めるなんてある筈もなく、口唇を三日月に象らせたまま言葉を紡ぐ。
「求愛なのよ。飛べないから形にすらならないだけで」
「は?」
「それでも褒めたっていうことは応えたも同然ね」
「はア!?」
何だその有り得ない事象は、とオオワシに否定をさせようとしたのだが顔を手で覆ってべそべそと泣いている。オオワシが泣き出したことで更に機嫌の良くなったシロフクロウの口唇からはくすくすと声が漏れた。
「力尽くでモノに出来る哺乳類と違って鳥類は魅力が全てだもの。賞賛以上の応えはないわ」
「だとしてもこんなヘタレの何処が良いんだ」
「何を言ってるの、オオワシは充分に魅力的よ。泣き顔も、泣き声も」
「判断基準がオカシイだろ、このドS」
心底から阿呆らしくなり帰って一寝入りしようと出入り口へと歩くのだが、そうは問屋が卸さない。
「何処へ行くの、ライオン。お酌してちょうだい」
「ふざけんな、何で俺が」
「オオワシの求愛を覗いた挙句に欲情したって言い触らすわよ?」
「マジでふざけんな」
適当なことを言ってしまった己を殴りたくなったが時既に遅し。内乱後のシロフクロウの発言力がどの程度のものか知れず、恐らく東でなら今も高いということは想像に難くないので本当にやりかねない彼女をこのまま放っておくのは得策ではない。チクショー、と悪態をつきつつ他人の家の台所を勝手に漁る。
「テメーがさっさとシロフクロウに告白しねーからこんなことに……。酒ってどれだ?」
「おまえが後先考えずに言うからだバカ猫。……禁酒中だ、調理用しかない」
おまえは飲むな成長期、とそれでも生真面目に釘を刺し酒瓶と猪口を渡した後、オオワシはよろよろとソファの前へ移動する。
悲壮感すら漂うその背中には色気も何もありはしなかった。
余談だが日没まで歌わされ続けたオオワシの咽喉は翌日、使い物にならなかったらしい。