格好良いから
「遅くなってすまない」
まだ制服のままグラウンドに駆け寄ってきた風丸と鬼道に、ちょうど染岡のシュートを止めたところだった円堂が、ボールを抱えたまま右手を上げた。
「いいよ、クラスの用事じゃ仕方ないって! それより早く着替えて来いよ!」
「わかってる!」
「風丸くん、部室の鍵! 投げるねー?」
「おう! ……サンキュ、木野!」
ベンチから木野が放り投げた鍵を、風丸は片手で器用に受け取る。
その勢いでふわりとなびいた長い髪に、鬼道はふと視線を止めた。
「行こうぜ鬼道……って、どうかしたのか?」
「いや……なんでもない。行こう」
そのまま部室へ駆け戻り、二人は急ぎ着替えを始める。
「急ごうぜ。円堂たちが待ってる」
脱いだ制服をロッカーに放り込む風丸の仕種が荒い。遅れてしまった分をを取り戻そうと焦っているらしい。
たしかに練習ははじまってしまっているが、なにもそこまで急がなくても…と鬼道が思った時、小さな声が上がった。
「あっ!」
「どうした風丸?」
「髪だよ。解けちまった」
どうやら頭を通そうとして、ユニフォームの襟に引っ掛けてしまったらしい。
「ったく、急いでるときに限ってこれだ…!」
憤りながら崩れた結び目から髪ゴムを外し、風丸はロッカーの隅に転がしてあった櫛を拾い上げる。
ばさりと広がった髪を見て、鬼道は着替えの手を止め、風丸に問いかけていた。
「……邪魔じゃないのか?」
「えっ?」
唐突な言葉に、髪をまとめようとしていた風丸の手も止まる。
「髪の話だ。今もそうだが……その髪では走るときに邪魔にならないか?」
「なんか、意外だな。鬼道がそんなこと聞いてくるなんて」
ぱち、と瞬いた風丸に、少しばつが悪くなる。
さっき風丸が鍵を受け取ったときから気になっていたことがつい口を突いたのだが、考えてみれば急いでいる時に振るような話題ではない。
「疑問に思ったことは突き詰めないと気がすまなくてな。だが、このタイミングで言う事ではなかった。すまない」
「別にかまわないって。……俺もちょっと落ち着いた方が良さそうだしな」
急がば回れって言うもんな、と笑って、幾分の落ち着きを取り戻したらしい風丸は櫛を持ち直す。
「……よ、っと。この髪、もうずっとこんな長さにしてるんだ。だから慣れちまって、邪魔とか、重いとか、あんまり気にしたことないんだよ」
言いながら長い髪は器用に束ね直される。風丸の背中でゆらりと揺れた長い尻尾に、鬼道の好奇心が再び刺激された。
「ちなみに、何故そんなに伸ばしているのか聞いてもいいか?」
「えっ? いや…別に……特に理由なんかないけど」
急に歯切れの悪くなった風丸に、鬼道は首を傾げた。触れてはいけない事だったのだろうか。
「そうだ! 俺の髪より鬼道、お前の髪はどうなんだよ。なんでそんななんだ?」
話題を変えてきた風丸に、鬼道はごく真面目に答えを返した。
「これは…生まれつきだ」
「ええっ!? …ま、マジかよ?」
風丸の目が丸くなり、そのままぐっと鬼道の方へと乗り出してくる。
「じゃあさ、そのゴーグルには何か意味があるのか?」
「これは視線や表情を相手に悟られないようにするためのものだ。試合中にはとても役に立つ」
「へぇ…! すごいな…!」
素直な感嘆の声は、どこか円堂に似ていた。
もっとクールなタイプだと思っていた風丸の意外な一面に驚きながら、着替えを終えた鬼道は最後に青いマントを手に取った。
「……で、そのマントには意味があるのか?」
胸の前でヒモを結んでいた手が一瞬だけ止まる。
「いや…別に……特に意味などはない。……あ」
言ってから、つい今しがた聞いたような台詞だと思い当たる。なるほど、つまりはそういう事か。
「あー…………」
風丸も同じ事を思ったらしい。双方、ゴーグルを挟んでなんとなく視線が泳いでしまう。
これは追求するべきか、それとも……少し考えて、鬼道はこの話題はこのままにしておく事に決定した。
「……風丸、着替え終わった。急ごう」
「っと、いけね。行こうぜ、鬼道!」
急かされて我に返った風丸も、この話題は追求しない事に決めたらしい。
かちゃり、と鍵の閉められた部室には、二人に置いていかれた「格好良いから」という言葉だけが残っていた。