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Linked【シャーロック・冬インテ新刊】

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「遅いねえ」とマイクロフトが言った。
「遅い、って」ちらりと視線をやり、僕は応えた。「彼がやってくると決めてかかってるみたいに言いますけど――」
 でも、の続きを言わずにいると、彼はくいと顎を上げて目を細めた。それだけで遥か高みから見下ろされているような気分になった。低いソファに座っているのにこれである。
「だってそうでしょう、シャーロックは貴方を」
 苦手としているようですから。穏便に言い換えたものの、彼はより適切な言葉を選んで言い直した。「その通り、彼は私を毛嫌いしている」
「ならお分かりのはずだ、僕を引き止めたところで何の効果もないと」
 今度も訂正してくれるかと思いきやマイクロフトは何も言わなかった。おもむろに長い脚を組み替えると、見ようによっては優しく見守るような、あるいは物わかりの悪い子供をたしなめるような、どちらにせよ非対称的な笑みを浮かべた。僕は口元だけの笑顔を返した。確かに彼は弟以上の長身だが、向かい合っていると自分が一段下にいるように感じられるのは、背の高さゆえではない。
「彼はやってくるさ、私の望みを携えてね」
 ぴこん、と間抜けな着信音が鳴った。ほら見たことかと言わんばかりにマイクロフトはニヤニヤ笑いを深め、僕は苦々しい思いでメールを検めた。登録済みのアドレスからにも関わらず文末にSHと署名がついている。本質的には僕に向けてではないことの表れだ。「……どこへ送ればいいのか、とあります」
「ここに直接来るように、と」
「僕が打つんですか?」
「君以外の誰が?」
 この兄弟は当たり前のように他人を使い、それを悪びれもしない。嘆息した。大人しく橋渡しをさせられている自分にも、である。僕もパブリックスクールで教育を受けたらこんなふうになっていたんだろうか、誰かの喉元に不可視のステッキを突き付けて、平然としていられる人間に――。
 その頭蓋骨の中身は空っぽなのか、あんな男と一緒にするなと切って捨てたシャーロックに胸中で毒づく。そっちの自覚が欠けているんだ、君たちどこまでもそっくりじゃないか。

「のこのこついていったんだろう、君のことだから」
 まっすぐ前方を睨みつけたままシャーロックが言った。僕は大股で彼の後に続きながら、「違う。あれは拉致、そして軟禁だ」
「どうだか」
 信号待ちをしているところに突然滑り込んできた車に引きずり込まれたのを拉致と言わずして何が拉致なのか。
 彼とルームシェアを始めて以降身辺に危険が尽きないが、お次は一体、と目を回す僕の隣に乗っていたのはマイクロフトの下で働くあの女性だった。安堵したのもつかの間、彼女が手元で弄んでいる黒く無骨な物体を見て、僕はハイと挨拶しかけた口を閉じた。薄暗い車内では、それが本物かどうか判別しかねた。別に使うつもりはないの、と彼女は視線を落としたまま言った。実はそれはライターで、煙草を吸うつもりはないの、という意味だったのかもしれない。連れて行かれた先にはもちろんマイクロフトがいて、私はただ弟の助けを借りたいのだと言った。本人に直接言ったらどうですという提案をスルーされ、仕事があるから帰りたいという申し出も聞き流され、テレビも何もない部屋で丸二日だ。
「……勘弁してくれよ」
 せっかくの週末を完全に棒に振ってしまった。昨晩は一応ベッドで寝たが、あまりにふかふかしていてろくに眠れず、ちっとも疲れがとれていない。サラとの約束も反故にした。
「文句なら彼に言ってくれ。君を連れていったのは彼であって僕じゃない、関係ないね」
 マイクロフトが弟へ連絡を取ったのか取らなかったのか、僕は知らない。しかし改めて連絡をしなくともシャーロックには分かっていただろう。幾度となく送られてくるメールを無視していたのは、彼も彼にそうしろと言われた僕も同様だったからだ。
 ――次はやらない。
 メールを代行送信してまもなく、本当に五分も経たないうちにシャーロックは部屋に現れた。僕は大いに驚き、マイクロフトはほらみたことかと更に笑みを深めた。シャーロックは僕らの反応を黙殺し、兄に向かってぽんと小包を放ると、僕には目もくれないで踵を返した。僕はなおも驚いていた。小包の中身を詮索しようなどとは思いもしなかった。そこまで愚かでも命知らずでもない。ただ彼自身がやってきたことに驚いていた。くっくっく、とマイクロフトが笑い始めてようやく、我に返って立ち上がった。慌てて廊下に出た僕を、ほら効果的だったろう、君を餌にするのが一番なんだという声が追いかけてきた。人をにんじんみたいに言うな。
「関係ないわけあるか。君たち兄弟の問題だろう」
 ふつふつこみ上げる怒りを真っ黒い後姿にぶつけると、影はぴたりと立ち止まって言った。
「夕食は?」
「は?」
「もう済ませたのであれば別れよう。僕は食べて帰る」
「シャーロック、僕は今」
「マイクロフトは尊大だが客人を粗末に扱うような男ではない。昨日も今日も豪華なディナーが出たんだろう、君の年金生活ではとても食べられないようなものが」
 どこかのホテルから持ってこさせたと言っていた、上品さを絵に描いたようなフレンチのコース。しかし味など分からなかった。そもそもそんな上等な味覚が備わっていないくせにと言われたら反論できないが、
「……今日はまだ出ていない」
 もう少し遅らせるべきだったかな。シャーロックは無感動に呟くと、「それで来るのか来ないのか? 他にあてがあるならそっちへ行くといい、僕には『拉致』するつもりなどさらさらないのでね」
「……あの中華料理屋へ行くのか?」
「いや、ベイカー街の近くにあるダイナーだ」
 じゃあ『ついていく』よ、と僕はため息まじりに吐き出した。