【腐】理由
人並み外れた怪力を、多少キレやすい性格によって存分に引き出しているとはいえ、平和島静雄が人並みの感情や理性を全く持ち合わせていないわけではない。実弟である幽が言うには、静雄は感情の起伏が激しいらしいが、言い換えるなら怒りっぽいだけである。
ストレートに感情が出やすいのは勿論怒っている時ではあるが、それ以外の感情が極端に鈍いとかそういう訳ではない。流石に、泣くような事は滅多にないが、それでも例えば悲しいニュースを聞いて胸を痛める事だってある。
勿論、例外もある。先述の悲しいニュースの中に折原臨也の影が見え隠れした瞬間に、静雄の怒りバロメータはぐんっと上昇してしまう。何かにつけて理屈を並べ立てる臨也が殺したい程に嫌いなのは今に始まった事ではないが、臨也の事となると感情の制御がどうにも上手くいかない自分自身にも、静雄は苛立ちを覚えていた。
互いの事を嫌いだと言い張る静雄と臨也ではあるが、その意味合いには多少ズレがある。少なくとも静雄の場合、好きと嫌いの振り幅はそこまで大きくはない。好き、ではなく信頼と言った方が正しいか。全ての人間を平等に愛する事はできずとも、一定の信頼を寄せる人物というのが少なからずとも存在している。
対する臨也は――あくまで静雄の主観に基づくが――人間は平等に愛しいが静雄だけは嫌いだ、と主張している。振り幅が大きすぎるのだ。
そもそも同じ人間である静雄を忌み嫌うのは多少矛盾しているのだが、静雄はその事に対して特に指摘したりしない。嫌いな相手の矛盾点を一々突っ込むのが嫌だというより、むしろそこまで思考を回す事自体を嫌っているからだ。
「――で、わざわざこんな時間に家にやってきたのには、何か理由があるんだよねえ?」
「ああそうだ。手前のそのフザけた面ァ殴りに来てやったんだ」
深夜二時。他人様の家に押し掛けるにはあまりにも非常識な時間帯だが、ふたりの間に常識も礼儀もあったものではない。
大体、そんなものがあったなら、この関係はもっと上手くいっていただろう。ぐにゃりと曲がった臨也宅のドアノブは、静雄の手の中で一通り弄ばれたのち、冷たいフローリングに放置されてしまった。
「シズちゃん、酒臭い。酔ってんの?」
「酔ってねえ」
「知ってる? 酔ってないって答えてる時って、大抵酔っぱらってるときなんだよ」
臨也に言われずとも、酔っている自覚はあった。そもそも、酒を引っ掛けてから来ていた上、体内に取り入れたアルコールの量も覚えている。それを酒の力を借りていると言うのなら、それでも構わないと静雄は思った。
ソファにどかっと体重を預ける。ほんの少し眠気が襲ってきたような気がした。ああ、やはり酔っている。
「臨也」
「何? ああ、悪いけど泊めてあげないから、用が済んだらさっさと帰ってよ?」
「泊まるつもりなんざ、ハナからねえから安心しろ」
一呼吸置いて、静雄は続けた。
「俺の事、嫌いか」
言ってから、しまった、と思った。この問いに対して臨也の返答は、想像を超えてくることはまずないだろう。
静雄は、臨也に問うておきながら、本当は自分を問いただしていたのだ。
自分は、この男の何を、こんなにも嫌悪しているのだろう、と。言葉なのか、信念なのか、生き方そのものなのか。折原臨也という存在そのものが嫌悪の対象だとしても、何がそこまで嫌悪感を引きずり出しているのか。静雄はそれが知りたかった。
悪酔いをしている、と思う。こんなロクでもない事に思考を走らせ、あまつさえそれを臨也本人に確認するなど――
当の臨也は最初こそ目を見開いていたがそれも一瞬で、さっと人の悪いいつもの笑みを貼り付かせた。
「……酷いよね、ホント」
「ああ?」
「聞こえなかった? シズちゃんは酷い、って言ってんの」
「繰り返さなくても聞こえてる」
「大事な事だからね。答えが分かりきってるのに、わざわざ訊くなんてどういう神経してんの? 大体、俺がシズちゃんに対して、嫌悪以外の感情を抱くなんて、有り得ると思った?」
日頃ならとうに振り切れているはずの苛立ちバロメータは、今日は故障でもしているのだろうか。未だ、臨也と普通に会話が成立している事に、静雄は違和感を覚えた。
早口で捲し立てる臨也の眸が何かを訴えかけている。これは、自分にとって都合良く解釈してしまっても良いのだろうか。臨也の語る内容は、全て真実を隠す為の虚勢なのではないか、と。彼の本心は、最奥に眠る本音は、自分と同じように揺らいでいるのではないか、と。
「らしくないよ、そんなの」
溜め息を挟んで、臨也は貼り付けた笑みをふっと解いた。
「俺の事は、嫌いなままでいて。……じゃないと」
その続きを聞いてしまう前に、静雄は咄嗟に臨也の口を塞いだ。突然の事に臨也は驚いていたが、静雄が離す気はないと悟ったのか途中で抵抗するのを止めた。
聞いてしまったら、もう戻れなくなる。静雄の中で渦巻く、臨也への嫌悪感に対する疑問のいくつかは解決するかもしれない。だが、そこに答えを見いだしたところで、どうする事もできない。
これまでの関係性を、過去を否定してしまうくらいなら、臨也の言う通り嫌い合っている方が気が楽だ。
「シズちゃん、やっぱり酒臭い」
「酔ってるからな。仕方ねえだろ」
「まだ、いつもの煙草臭い方がマシだよ」
全ての人間を平等に愛する事も目の前の男に信頼を寄せる事も静雄にはできないし、答えは見つからない。全部壊れてしまうなら、答えなどいっそ見つからなくていいと思った。
「……安心しろ。俺はいつだって、手前の事が大嫌いだ」
静雄がそうきっぱりと言い切ると、臨也はどこか嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「うん。俺だってシズちゃん嫌いだよ。今までも、これからも、ずっとね」