生きてなきゃ、死ねない。
生きて、己の正しさを示してみよ」
―――その勇気があるなら。軍服の男は踵を返す。
再び少年が握り締めたのは落ちたナイフでも、尖った石でもなく、どこまでも纏わりつくような泥だった。
彼の父親は最前線にいた。
彼の父親は勇敢に戦った。
彼の父親は戦死した。
オーベルシュタインの立てた作戦の最中に。
父の僚友がそれを教えてくれた。
泣き崩れる母に、彼は言葉をかけることなくナイフを持ち出した。
オーベルシュタイン元帥の傍に近づくことは容易だった。
だが、その体に銀色の刃をめり込ませることは出来なかった。
オーベルシュタインは強かった。
少年よりも、強かった。
「お前のせいで、父さんは死んだんだ!」
一部擦れるような大声で叫ぶ。
「俺が戦場に出ていれば、父さんを絶対死なせなかった!
他の人たちも・・・もっと沢山帰って来た筈だっ!」
裏づけのない断言に、一言の否定もなかった。
少年の刃はナイフのものだけでなく、声ですら憎い相手を切り裂くことは出来なかった。
悔しい。何故だ、父親の敵を殺せなかったからか。違う。傷の一つも負わせられなかったからか。違う違う。では、自分の言葉が妄言――負け惜しみでしかないからか。
―――小さな波紋が少年の足元に生まれる。
それはやがて雨となり、雷雨と変化していった。
「・・・いま生きておらねば、死ぬこともできまい。
生きて、己の正しさを示してみよ」
その勇気があるなら。やや低い声の言葉を残し、義眼の元帥は在るべき道へとその身を進めていく。
オーベルシュタインは彼に罪を科すことはしなかった。
だが、立ち上がるための手出しもまたしなかったのである。
それが温情か、冷酷かは誰かが気にしたければすればいいことであり、彼にとっては思い煩う価値はなかった。
降り注ぐ涙の嵐。それしか知らぬように、打ち付けられる少年の手。
この嵐が終ったとき、少年の手は何を掴もうとするのだろう。
それもまた、オーベルシュタインが考える必要のないことであった。
作品名:生きてなきゃ、死ねない。 作家名:瑞菜櫂