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おそれ

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畏ろしい。
――その感情から生まれた焦燥感は何なのだろう。
息もつかせぬ気迫を思うと、あんまり恐ろしくて涙が出そうになるし、自然、足は竦む。
物言いは表面だけ糖菓子のようにあまやかなくせに、なかに潜むのは残忍な刃だ。隙をうかがい、ひとの弱くてやわらかな部分を狙い澄まして切りつける。そして彼の両手に握られた刀などは言葉よりも正確に――相手の急所を選び一瞬で息の根を止めるだろう。痛みや苦しみを感じさせることもなく。
おそらくそれだけが彼がひとに与えるひとかけらの慈悲。

少女は思う。

全てのはじまりとなった時の流れの中で、はじめに彼の男に出会ったとき、彼は炎の中にいた。
炎に巻かれて朽ち果つ家屋、朽ち果つ町。熱風に、しろがねの髪をなぶられるに任せ、彼は、わらっていた。炎の色とも血液とも知れぬ色に全身を染め上げられ、ゆらりとわらう姿はまるで、悪夢に住まう魔物。
炎の中でゆらり、ゆらりと歩く様は彼自身が、呪わしい炎であるかのように見えた。

彼は。炎は。力は。
そのすべてたる戦は、そのときの少女の、数少ない拠り所だっただいじなものすべてを壊した。
だからだろう、少女が戦を恐れるのは。
だからこそだろう、少女がその男を恐ろしいと思うのは。













「神子様」
「神子様」


「神子様!」



ああ、と少女はようやく声に気づいて顔を上げる。

たびかさなる戦に疲労しながらも、異様なひかりをはなつ群集の視線。少女はゆっくり瞬きをした。
遠くざわめきの中で、たたかいの始まりを告げる合図の笛が微かに聞こえる。音は呼応しあうように陣地のあちこちで響き、否応なしに人々に剣や弓を握らせる。

みこさま。

周囲から、少女に向かいどことなく不安げに呼びかける声。もしかすると先ほどから無言で居たために怖気づいたとでも思われたのだろうか。だとしたら、余計な心配をさせてしまった、とそう思う。
だから少女は彼らに大丈夫だと返事をする代わりに、軽く微笑み、無言で剣を頭上高くに持ち上げてみせた。

けれどそうすることで一層きわだつのは掲げる刃の無骨さだ。一切の装飾を排した剣はあまりに少女の姿にはそぐわず、血なまぐさい戦場にほそい腕はあまりに儚い。
だが哀れを誘うほどの優しい腕は、驚くほどの力強さで立ちふさがるもの全てを打ち倒し、舞うようにするりと身をひるがえしてはひとを斬るのだと、幾度も共にたたかってきた彼らはとうに知っている。
振り掲げたつるぎは飾りでないのだと、なによりも確かに知っている。

兵たちはおお、と叫び、歌うように、囃したてるようにして口々に言う。



はて、さてあの娘御はいったいなにものか。
おお知らぬが己の身の不幸、かのものこそが龍神に祝福された龍の神子。

我らのしろい戦神!



まるで戦の行方をまじなうような人々の唄に、自分の役割をとうに心得ている少女は、ふっ、と力強く微笑んだ。
そしてゆっくり剣をおろしては腰だめに構えおもむろに地を蹴り、走り出す。


「者ども。神子様が導いてくださる――」


自ら先頭に出て、清い手を穢すことも厭わず駆けて行く少女に、誰もが迷わず続いて駆けた。


「―――続け!」











彼は。炎は。力は。

そのすべてたる戦は、かつての、よわかった少女の、数少ない拠り所だっただいじなものを殺した。
それにより少女は、失うこと、悲しいこと。…そんなあらゆるおそろしいものを恐れた。

だから少女は、今度こそ大事なものを失わぬ為にと力を求めた。
いつだって、どんな場面だってきっと今より少しでも力があればそれだけ多くの大事なものが守れるだろう。
実際は殆ど役に立たない名前だけの龍神の神子でも、この名前がすこしでも仲間たちを勇気付ける力になるのなら、彼らが望むままに微笑もう。
そして、龍神の神子は争いを厭いながら戦場を駆け、死を憂いながらひとを殺していくのだ。


戦いは恐ろしい。

戦いは悲しい。


しかし、恐れれば恐れるほどに求めずにはいられないこの矛盾。
恐れているのに、気がつくと戦場にあの男の姿を探してしまう、この矛盾。

しろがねの髪をした、炎の如き気質のあの男。








おそろしい。








「―――ほう」

自分に向かってまっすぐ駆けてくる少女の姿に、男はかすかに口元をゆがめた。少女を守るように取り囲む煩わしいものを片手で一気に切り捨てて、満足そうに呟く。

「……あれが。…噂の龍神の神子殿、か」








少女は走る。風貌にそぐわぬつるぎを手にしながらも、少女には身のこなしにいささかの迷いも、切っ先のほのかな躊躇いも見当たらない。ただひたすらに人を斬って、走る。

剣の型は見慣れないが、おそらくは実戦の中で身についたのだろうと男は思う。都で貴族どもが習うそれらのように、無駄に華美ではないところが好ましかった。少女の剣はどこまでも無駄がなく効率的で、不思議の力でひとの動きを読んでいるとしか思えない。
鮮やかなこの振る舞いゆえだろう。――この美しい、源氏の神子は舞をまうようにして戦うのだと風聞にはあったが、男からしてみればそんな優雅はどこにもない。
「………苛烈、だな……。―――くくっ、まるで炎のようじゃあないか?」
少女の戦いに心ひきつけられる理由は、ただみための美しさだけではない筈だ。
少女は、鮮やかな手並みでまたひとり、とその手にかけては先を急ぐように駆けていく。



「………妬ける、な。
いったいそうまで急いでどこへ行く。……まるで、想い人にでも会いに行くような顔をして……?」




強い炎は、近づきすぎると恐ろしい。
しかし、何の混じりもなくただ無心に燃え盛る炎は、何よりもうつくしく。

目が離せない。こころ縛り付けるが如く、高く強く広がる炎。
炎に魅せられたひとびとは、太古よりそれへ何度も手を伸ばした。


我こそが畏れを越えんと。
我こそが畏れを手に入れるのだと。


焦がされてなお、ひとはそれを乞い焦がれるのに違いない。


「さあ、……来いよ」


男は、ほのおの勢いで駆けてくる少女と目が合うと、満足そうに、ことさらゆっくり瞬いて微笑んだ。
作品名:おそれ 作家名:だろ