黒と緑
平日のカフェは空いていて、キョウヤはテラスの中央寄りのテーブルに通された。周りには談笑しているカップルと新聞を読んでいるサラリーマンくらいで閑散としていたが、キョウヤにしてみればそのくらいが丁度よかった。店員は注文を受けるとすぐにコーヒーを持ってきた。磨かれた真っ白なテーブルに、真っ白なソーサーとカップ。その中で、深い闇色の液体が湯気を立ち昇らせている。キョウヤはそれを、ろくに冷ましもせずに乱暴にあおった。砂糖やミルクを入れることもしなかった。およそ身体に良いとは言えなさそうなもの、容赦なく舌や喉を刺激するものを、味など関係なしに流し込みたい気分だったのだ。焼けるような熱さと、刺々しい苦味が口腔いっぱいに広がって、キョウヤは思わず眉をしかめた。
明るいオレンジ色が視界を横切ったのは、そのときだ。
ギ、と椅子を引く音がして、キョウヤは顔を上げた。すると向かいの空席に突然、ひょい、と人影が現れた。その少年はオレンジ色の髪をしていた。
「な、っ」
何の断りもなく同じテーブルについた少年と、キョウヤはひととき目が合った。驚きを露わにしたキョウヤの眼差しも気にせず、少年は視線を外して手を挙げた。
「すみませーん、クリームソーダひとつ追加でー!」
元気な高音は店の奥にまで届いたらしい。店員が了解を示し、厨房に引っ込んでいった。
そこまで見届けて、キョウヤはようやく事態を呑み込んだ。
「てめえ、何でここに…!?」
「やだなあ、偶然だよ、偶然ー」
「席なら他にいくらでもあるだろうが!」
「いーじゃん、固いこと言わない言わないー」
遊は笑顔でひらひらと手を振ってみせた。そうこうしているうちに店員がクリームソーダをトレイに載せてやってきた。そしてテーブルの上の伝票を持って去っていく。これで完全に同じグループの客として見なされてしまった。キョウヤは一瞬席を立ちかけたが、今さら意地を張って席を移るのも馬鹿馬鹿しくて、結局溜息をついて座り直した。カップの中は、まだ豊富に闇色をたたえていた。
*
湯気のたつコーヒーとは対照的に、クリームソーダはよく冷えていた。しっかりとしたドーム状に盛られたバニラアイスの表面には、ディッシャーで掬った跡がまだ残っている。遊は、テーブルにつけた手に顎を載せて、グラスを眺めた。透き通った緑色、そこにいくつも立ちのぼる細かな泡、そしてその隙間から、向かいに座るキョウヤが見えた。キョウヤは緑のイメージだ。彼の操るレオーネがその色だからかもしれない。クリームソーダを選んだのは、単なる気分だった。キョウヤを見て、なんとなく、そうしようと思ったのだ。遊はアイスの隣に浮かぶ真っ赤なチェリーの軸をつまみあげた。
「今日はタテキョーひとりなの?」
仲良くする気は無いというポーズなのか、どこか遠くに視線をやっていたキョウヤは、視線だけを寄こしてきた。
「……その呼び名をやめろと言っただろ」
「ふーん、ひとりなんだあ。……」
チェリーを咥えながらキョウヤを一瞥すると、遊は不意に言った。
「銀河は? いないの??」
「っ!」
途端、キョウヤは瞠目し、僅かに肩を揺らした。そしてすぐさま、しまった、という顔をした。それも一瞬で取り繕われてしまったが、遊はその一部始終を見ていた。笑い出しそうになったのを堪えたのは、まだ口にチェリーが残っていたからだ。食べ終えると、遊は殊更大きくため息をついた。
「なあんだ、銀河がいたら、一緒にバトろうと思ったのに」
その名前を出すことの、なんと効果的なことか。態度は素っ気なくても、キョウヤの耳は確実に遊の言葉を捉えているようだった。キョウヤはぽつりと呟いた。
「……アイツは、おまえのことなんか見やしねえよ」
「タテキョーのことも?」
「…………」
怒りを買うかと思いきや、意外にも返ってきたのは沈黙だった。そしてその沈黙は、肯定を表していた。
「(……つまんないの)」
遊は柄の長いスプーンで、バニラアイスをつついた。ベイバトルでは猛る獅子の如く、とさえ言われる激しさが、今では見る影も無い。そんなキョウヤでは、遊も興味が湧かなかった。軽く失望さえ覚えるほどだった。遊はこれでもキョウヤを買っていたのだ。
「(これじゃあちっとも似てないじゃん)」
その切れ長の鋭い眼、荒々しい口調、容赦の無い戦闘スタイル。それらは遊が敬愛してやまない、竜牙を彷彿とさせた。遊にとって、竜牙は完璧な存在だった。圧倒的な強さと、恐ろしいほどのかっこよさ。誰一人、竜牙を倒すことはできない。世界一のブレーダー、それが竜牙だ。やがてすべてのブレーダーが竜牙の前にひれ伏すときが来る。ダークネビュラのナンバー2として、竜牙の最も近くで、それを見られることが遊の誇りだった。
「(やっぱり、こんなヤツが竜牙に似てるわけなかった。竜牙は世界一なんだから、誰よりもすごいに決まってるんだ)」
緑に染まったソーダをストローで吸い込む。しゅわしゅわと炭酸が口の中で弾けて、少し愉快な気持ちになった。目の前で不貞腐れている男をつついて遊ぶことにする。
「まったく、タテキョーはショウキョク的だなあ〜」
「なに?」 それまで黙りこんでいたキョウヤが反応する。
「もっとベイバトルみたいにガンガンいけばいいのに。もたもたしてないで、さっさと奪っちゃえばいいじゃん」
「奪っ…!?」
「あっ、何なら、ボクから銀河に言っておいてあげようか? タテキョーが構ってもらいたがってたよ〜って!」
「っ……てめえ!!」
ガタン、と荒々しく席を立ったキョウヤに、しかし遊は怯えも驚きもしなかった。いくらこちらを睨んでいても、脅すように低い声でも、その頬が赤くなっていたなら効果は半減どころかマイナスだ。遊は今度こそ声を上げて笑った。そして、今にもその場を去っていきそうなキョウヤに向かって、追い打ちをかけた。
「そうそう、言っとくけどボク、お金持ってないからね!」
それに、年下に払わせて出て行くのもどうかと思うよね〜。
―――その場に硬直したキョウヤを後目に、上機嫌でクリームソーダを味わう遊であった。