再帰性信仰
その小さな手はいつかお前を殺すのだと男は哂った。
組み敷いた手足はいつの間にか幼さから脱し、細いながらもすらりと伸びて美しかった。翠の瞳は驚くでもなく不敵さと形容しがたい憐れみみたいな輝きで俺を見返していて、ああもう子供ではないのだなと悲しく思えた。
「今日、エドから手紙がきたんだ」
変声期を終えてなお甘さの残った声が掠れた囁きを迷いなく唇に乗せた。
「お前は俺を手に入れたつもりだったんだろうが残念だったな」
どんなに抱き合っても曖昧だった境界線ははっきりするばかりで俺達は一つにはなれなかった。渇望するのは俺自身なのかそれとも国民たちなのか。湧き上がる本能に翻弄されてまた大地は血に塗れる。俺から別れた同胞はお前に飲み込まれ異質と成り果てながらも本能で一つに戻ろうと抗う。
「可哀想なフランス」
妖艶な笑みを浮かべる口元が器用に腹筋だけを使って慰めるように唇に触れた。幾度も交わした親愛や慈愛でなく欲情のキス。
「このまま俺を殺してみるか?」
離れ際、下唇を強く噛まれて思わず身を引いた。
咥内に広がる血の味。
甘く痺れた傷口はまるで口伝に含まされた毒だ。
「それとも俺が殺してやろうか?」
白い指が伸びてきて俺の手の上から自分がつけた傷口を満足そうに撫でた。
「殺してバラして全部食ってやるよ。まずはその青い目ん玉を抉り出してどんな味がするのか、お前の口ん中にも分けてやる」
頬を伝い熱を奪う冷たい指を捕まえて口付けた。そのまま銜え歯を立てる。滲んだ血の味が気化して鼻へと抜けてくる。それはけして甘美なものではなくヒトと同じ鉄錆に似た危険な匂いなのだけれども。
「坊ちゃんが料理したら全部焦がしちゃうでしょ」
「うるさい、ばか」
溶け合う温度のようにこの世界も一つになって訳が解らなくって消えてしまえばいいのに。
俺達に与えられた終わりのない命は殺し合って時間に埋もれる事も赦してくれない。狂おしい想いに焦がされて永遠に奪い合い続ける為だけにあの緑の記憶は存在を続ける。花を掲げた愛しい幼い手はエストックを携えて戦場を彷徨う。
男が哂う。
生まれ落ちたことが罪。
生き続けることが咎。
独りで背負うには大きな荷物を軽くしたかっただけなんだ。
「フラン」
身動ぎしたアーサーが静かに呼び掛ける。吹き荒れた狂気は収まり瞳に映るのは静かな諦念。
「泣くなよ」
細い腕に抱き込まれ眦を思いのほか熱い舌が擽った。まだ泣き虫だった彼が泣いているとよく俺がしていた仕草と同じだ。
「あいつらが殺し合いに飽きたら−−」
嗚呼、君はなんと言ったのだろう。
世界が終わったような静けさ。
−−赤くなってる。
胸に押し当てられた頬には乾いた涙の痕。
愛し合う時も殺し合う時も。
「…フラン」
掠れた声が甘く呼ぶ。
まだ微睡みの淵を揺蕩うアーサーは幸せそうに何も知らない天使のように笑った。
−−また二人きり帰ろう。