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凍れる太陽

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誰にも、この胸の内など言えなかった。
 だから今までずっと言葉を飲み込んできた。今まで、一体それを何度繰り返してきたか分からない。
 だからだろうか。人の話に対し、余り興味が持てなくなってしまった。聞き流していることが多くて、後々にそれで怒られるのは日常のこと。もっとも村越を相手に怒る者なんて、数が知れているのだが。
「コシさん?」
「…どうした?」
 話しかけてきたのは椿であり、彼の声に村越ははっとする。
 村越も言葉が多い方では無い。だが椿もそんなに饒舌でも無かった。椿が話しかけてくるなど、珍しいこともあるものだ。
「今日、この後はまだトレーニングっスか?」
「ああ、そうだな」
 スポーツバッグに突っ込んだ時計を取りだして時間を確認すると、時間はまだいつもより随分と早い。
 今日は達海がもう良いと言い、練習が終わりとなってしまったのだ。予定よりも随分早い終了。達海には何か考えがあってのことなのか、村越には分からない。
 とりあえず体を持て余した村越は、トレーニングにでも励むことにした。無理は良くないので適度に流す程度でだが。
「お、俺も行って良いスか?」
 椿から話しかけてきたのも珍しいけれど、そんなことを言ってくるのも珍しい。今日は一体どうしたというのだろうか。
「…好きにしたら良い」
 もう少し、上手い言い方があったのではないか。そう思ったのだが、村越にはそうとしか言えなかった。取り立てて気にした様子も無く、「はい」なんて元気の良い声が背中の後ろから聞こえてくる。
(珍しいこともあるもんだ)


 もう少し若い頃は、それなりに夢に溢れていた気がする。そう、椿くらいの年齢の頃には。
(夢に溢れてたって言うより、達海さんばかり見てた気がするけどな)
 そもそも村越がETUに入った理由は、全てその男にある。
 村越は長い間ずっと、達海猛という男に憧れていたのだ。彼が居るからこそ、ETUに入団を決めた。他にも色々と誘いはあったのだが、それら全てを断って、だ。
 しかし村越の前から、達海はあっけなく姿を消した。達海は村越のそんな想いなんて知らなかった。そして彼は監督としてETUに返ってきたが、今もその事実を知らないままでいる。村越は決して達海にその事実を言うつもりは無かった。
 村越の目標は、あのときからずっと失われたままだ。ETUに居るのは、達海がそこに居なくとも、チームには愛着があるから。チームを守りたい。だがそれ以上に村越はそこに居る意味を見出せないでいた。昔はその他にも、サッカーをする理由を持っていた筈なのに。
「なあ、椿」
 二人で並んで黙々とトレーニングを続けていた。話しながらトレーニングなどしないだろうが。それを止め、村越が椿の方へ声をかけた。椿はどうしたのかと、手を止める。
「コシさん?」
「お前はどうしてETUを選んだんだ?」
 村越はそう言った後に、はたと気付く。
 これではあまりに唐突過ぎやしないか。そもそもこれは前置きも無く聞くような話なのだろうか。
「す、すまん、椿、これはその」
 村越は達海に憧れてETUを選んだ。椿もそんな理由があってここを選んだのだろうか。村越はそういう話がしたかっただけなのだ。
 そう説明しようと思ったのだが、村越が話を続ける前に、椿が口を開いた。
「笠野さんが声をかけてくれたんスけど」
 そうであった。椿は確か笠野によってETUへ連れて来られたのだ。
「ああ、そうだったな」
「でも俺がETUを選んだのは、他にも理由があって」
 話はそこで終わると思っていた。だが終わらなかったのは、村越にも予想外であった。
「笠野さんに、ETUの試合を見に連れて来て貰って」
 たどたどしい椿の言葉。
 そして彼の目は輝いていた。それを見て、村越は十年前を思い出す。
(俺もETUに入るのを決めたのは、スタジアムでだ)
 椿は村越が何を考えているのかは知らない。ただそれでも、詰まりながら言葉を続けた。
「そこでコシさんの姿を見たから、です」
「…お、れを?」


 村越はそれがいつだか分からない。
 だが椿にとっては忘れられない日だ。
 あのときのETUもやはりいつも通り負けていたが、それでも椿には、村越の背中が輝いて見えたのだ。
「気迫って言うか、なんて言うんスかね。上手くは言えないんスけど」
 椿の言葉は確かに足りない。何を言いたいのか、他の人間ならば中々伝わらない。しかしそれでも村越には、何となくだが分かった気がした。言葉で分かったと言うよりも、椿の顔が輝いていたからかも知れない。


 村越にとっては、若かりし頃の達海は太陽であった。その太陽が見えなくなって、絶望の淵に立たされていたのだ。
達海が居なくなってしまってから、ETUは全く勝てない、万年最下位争いをしているばかりのチームになってしまった。もうそのときには、村越の力だけではどうしようもなかったのだ。
だが本当は、それは絶望などではなかった。ピンチはチャンスだと言ったのは、一体誰だっただろうか。
他の大勢は見てくれなくとも、見てくれている者はここに居たのだ。
「俺、あれからコシさんに憧れてて。俺なんかがこんなこと言える立場じゃないんスけど…」
 村越がどんなに絶望しても、その村越の背中に希望を見た者がここに居たのだ。
「…ははっ」
 村越の口から出たのは、乾いた笑い。
 可笑しかった。もうどうしようもなく可笑しかった。可笑しかったのは椿の言葉がではない。
「え、コシさん? 俺、何か変なこと言いました?」
 自分の言葉が笑われたのかと思い、椿は慌てる。だが違うのだと、村越は椿の言葉に首を左右に振った。
 椿に、村越の笑いの意味が分かるわけがない。それにはこの十年の重みがある。
「可笑しいさ。可笑しいが、お前の言葉が可笑しいわけじゃない。俺自身が可笑しいだけだ」


 村越にとって、達海は太陽だった。
無くなったと思っていた光は、村越の気が付かない所にあったのだ。
(俺は勝手に勘違いして、勝手に落ち込んでいただけなんだ。…くだらねえ)
 村越が笑う理由が、椿には分からない。彼が笑う前できょとんとしたままだ。
「コシさん?」
 どうしたのかと尋ねられたけれぢ、村越には答える気なんてなかった。
「お前、明日もトレーニングに付き合え」
「…え?」
 これは自分のずっと抱いていた疑問への答え。
 村越がサッカーをする意味への答え。それがたった今椿の言葉によって分かったのだ。


 達海が村越の太陽なら、今度は村越がそうならなければならない。
(…椿、俺は)
 椿によって気付かされた。
 村越は椿にとっての憧れかも知れない。だが今から彼は、もっと違うものにならなければならない。
(椿、俺は、…お前の太陽になりたい)
 今度は村越が、椿にとっての一番のそれに。
作品名:凍れる太陽 作家名:とうじ