展翅
なぜなのか、考えてみたことはあるが、その思考はいつもうまくいかなかった。その考えが深くなるまえに、エドワードの手は釦をはずすのに集中しはじめ、体中に小さな熱が点るのを知ることになるのだ。
繊細なつくりをしたロイの掌は、いつもひどく丁寧にエドワードの皮膚を扱う。
女に触れるみたいに俺に触るなよ。わかってんだろ。
エドワードは彼に語りかける。それは、一度も音にされることなく、触れている皮膚の隙間から零れた。そしてうっすらと開かれた唇からは、意味をなさない呻きだけが吐き出されるのだった。
ロイの手袋には、自分のものと違い、少々特殊な意味がある。彼の負う二つ名、焔を司るそれ。軍における彼の象徴といってもいい。
彼が自分の前でそれを外すとき、その白い布に描かれた練成陣はくしゃりと歪んで、その姿を見えなくさせた。彼の二つ名を象徴するそのかたちが歪まされて消え去ると、そこにあらわれるのは膚の白い指だけになった。
「大佐」
エドワードはわざとそう呼ぶ。まだ彼に触れる前は、そうするのがルールだった。確認のための。
自分たちは軍人で、錬金術師だ。
同じ破滅の淵を覗く。それを選んだ。
「どうした、鋼の」
大佐が振り向いて、静かに微笑む。そうしているときの彼は、完璧に有能な軍人に見えて、同時に決してそんなものではなかった。
エドワードは彼の掌を両手でつかまえる。
一度確認したら、、もう呼ばないのもルール。
エドワードは言葉の代わりに、剥き出しの指の谷間に舌を這わせる。ロイは黒い切れ長の瞳をすがめて、その様を見ている。やがて跪いて、エドワードの額に落ちる髪にくちづけ始める。
手袋を外した瞬間、彼の指は、長いこと呼吸をすることを忘れていたようにびくりと瞬く。一瞬、それから、徐々に解かれていく白い色。
あんたの手、なんだか蝶々みたいだ。エドワードは呟く。
おかしなことを言うんだな、と、彼はすこし笑った。
なぜそう思ったのか、その衝動にエドワードは名をつけなかった。ただ自分は、この男の手が、あの白い手袋から離れたところを見たいと思ったのだ。見たくて見たくて仕様がなかった、なんどもその瞬間を想像するくらいに、切望しているといってもいいくらいに。
彼は白い手袋を外す。自分は赤いコートを脱ぎ捨てる。
そのとき、そこに相手の皮膚があるなら、ほかのものはなにもいらない。
うつぶせになったシーツの上で、エドワードは彼が手袋を身につけるのを眺めている。
それは白い膚、黒い瞳の男の指。自分が、鋼の腕でかき抱いた男、青い軍服を纏い、練成陣を描かれた手袋を嵌めて、焔の名を背負う男の指。
ねぇ、とエドワードは声を放る。
こちらに向けられる意識を感じながら、続ける。
俺、あんたの手がすき、
白い膚の男は、すこし俯いて、手袋の皺をなおす。
そして振り返らず、ただそっと、そうか、と答えた。
蝶みたいで?
そう、蝶みたいで、
はりつけにされた蝶みたい。
空気が足りなくて喘いで、白い翅をひらひら舞わせる。
エドワードは瞼を閉じる。
男の纏った軍服のたてる衣擦れの音がする。エドワードはシーツの上に仰向けになって、こどものように両手を広げる。
瞼の裏に、白い蝶々。
こうしてるときだけなら俺は、あんたの名前を忘れてやれる。
軍人ではない手がよかった。錬金術師ではない指が、自分と彼の間に繋がる何にも関係のない膚がよかった。
けれどそうやって扱おうとしたら、あんたの白い手は死ぬだろうか。
手袋を外した瞬間の、たった数秒だけの震え。痙攣する翅を、エドワードは濡らす。それが重くて飛べないから、翅は男の指になって自分の体の上に落ちてくる。
黒い瞳に白い膚の男。俺は鋼の義肢を持った、金髪の少年。
なあそれだけ、それだけのことだろう。
あんたの手が好き。くりかえすと、繊細な感触がそっと額に触れたような気がした。エドワードは目を閉じたままその感触を手繰り寄せた。今は白い手袋に包まれているだろう、十本の骨格を持った翅。
音にならない言葉は、皮膚の隙間から零れていく。運が良ければ、この男の指に染み込むことができるだろう。シーツに落ちて吸い取られ、ただのしみになる前にそうしてくれたら、今度この指に口づける時にそれを味わうことができるのだけど。エドワードはそう思いながら、ひんやりした感触に音だけのキスを贈った。