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花と男

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望んで交わった事など一度も無い。
 村にあった頃から、今まで、私はずっとその男の気まぐれで生かされていた。
 衆道は一度味わったが最後抜けられぬようになるものと云うが、言葉の通り男は日を空けず私の元を訪れる。
 時には人目を憚らず衆目の前で私をその膝へ引き寄せたりもする。
 気を害すると己の立場を失う私は諾々と求めに従う。
 息苦しく辛い夜が幾度も幾度も体の上を過ぎる。
 それでも男は彼が私に向ける情が篤ければ篤いほどに、当然の如く、私も彼を慕うものだと信じて疑わない楽天的なところがあった。
 いとおしいと思ったことなど無いと云うのに。
 義務と忠誠だけで私は男とつながり、男はただ荒れ狂う心のままにふるまう。
 いつまで続くのかと考えるとやりきれなくなって、気の病を理由に暫く男を遠ざけた。


 しばらく間があって男は臥せったままの床へとやってきた。
 拒まれてさぞや憤っているかと思えば、意外に笑顔だった。
「ひどく気が塞いでいると侍童が零していたのでな」
 白い花のついた山茶花の枝を持っていた。
「枕元に挿してやろう、花は気晴らしになる」
 瓶へ花を生けさせて、遠慮がちに私の手を擦った。
「お前が横に居なければ、あるべきものがないようで、ひどく淋しいな」
 数日の猶予は自分から作ったものであったのだが、なさけない事に、日々いたぶられ、穿たれることに馴れきっていた体は休息を許さなかった。
 がちがちになった自身に促されるように枕元に来た男を床へと引き入れた。病の身のはずがいつにない激しさに戸惑う男を揺さぶっておったて、山茶花の枝の下で無理につながった。
 泪がこぼれた。
「何だ、おまえも淋しかったのか」
 違う。
 浅ましく出来上がった体があまりにも悲しいだけなのに。
 もう一度、今度は男の主導でゆるゆると遂げた後、衿を正して起き上がった。
「実は、もうすぐ戦にゆくと言いに来たのだ。さびしいのをまた一人にして、すまんが」
 耳を疑った。
「あなたが、陣頭指揮を?」
「そうだ」
 たまには頭らしいところを見せんとな、などと、男は微笑んだ。
「無謀だ。そんなことは、宋江どのに任せておけばよいのに」
「なあに、どうってことはない。林沖も呼延灼も居る」
 数日席を外した事が悔まれた。もっと早くに知っていれば、命を懸けてでも止めたと云うのに。
「では、私もどうぞ一緒に」
「いや、おまえには宋江とともに塞を守る役をたのむ」
 猶も渋るのを男はただ淋しがっているのだと解釈したらしい。強く抱いて、後からまた来ると言葉を残して、去って行った。
 上身を起こして山茶花の花を見た。
 目にまぶしい白が喪服のようで不吉だと思った。一度頭がそうと決めてしまったのなら、もう、とめることはできないだろう。


 言葉どおり夜になって男はやってきた。宵闇の月の光の中に白い花がぼうと浮かぶ。
「なあ、おまえ」
 肌脱ぎで私を胸に抱いたまま傲慢な男は言う。
「わしが頭領としてのつとめを果せなくなって、山を降りる日が来たら、共に来るか」
 そんなのはまっぴらごめんだった。どこまで付き合わせる気なのだろう。彼と居れば己の采配を自由に振る場を与えられる。だから利の為に付き添っているのだというのに。
 項垂れた様を肯定とはき違えて男は微笑む。
「梁山のふもとで、一緒に魚でも釣って呑気に暮らそうぞ」

 二人一緒に。のんびりと。
 どこまでも、どこまでも。

 らしくないそのような話をしたということは、幾分か予感があったのかもしれない。
 数日して男が山に戻って来たときには、顔中が紫色に腫れて、殆ど喋れない状態だった。
 ニ三の遺言を二の頭の宋江に残して男は死骸に成った。
 泣きじゃくる宋江と死骸を私は冷徹な眼差しで見つめていた。
 悲しみよりも、これで自由に成った、とほっとする気の方が強かった。
「先生」
 不意に宋江に傍へと呼ばれた。
「先生もさぞやお嘆きのことでしょう、あなたが、頭とは一番つきあいが長かったのですから」
「・・・ええ、子供の頃からのつきあいでした」
 即ち、組み敷かれた私の屈辱の歴史でもある。
「どうぞ、ふたりぎりで、お別れの時を」

 紫色の死体と向き合って座る、随分と奇妙な時間。
「・・・ずっと言いたかった」
 腫れ上がった顔は別人のようだ。
「おまえなんか大嫌いだった」
 縫い目の粗い白い服を着せられて膨れた顔は微笑んでいるようにも見える。
「よく死んでくれた。清々したよ、好き勝手やりやがって、この畜生め」
 嘲る言葉を叩きつけても違う気がした。
「なにが、どこまでも一緒だ。とっととおっ死んで後の事は子分にまかせきりか、この野郎」
 触れた頬はぶよぶよと感触が無い。
「どうしたらいいんだ、どうすればいいんだ、おれは」
 広い胸を叩いた。あばらが折れんばかりに、強く、強く。
 叩くたびに、肺腑にたまった空気の漏れる変な音がした。
「責任をとれよ。こんな所へ連れて来て、じぶんが真っ先にいなくなるなどと、反則だろう」
 憎たらしいだけだった、その掌をしっかりと握る。
「泣いてなど、やるものか」
 惜しんでなどやるものか。
 泣声に送り出されること無く、九泉に辿り着けずに、さんざん惑ってしまえ。いい気味だ。

 自室に戻って枕元の山茶花の枝へ目をやった。
 長い事置いていたので、花びらの端が茶色く変色してしまっていた。
 あの男のようだと思って、まとめて枝ごと捨ててしまった。
作品名:花と男 作家名:藻塩