恋
恋の唄を歌うのは好きだ。
恋愛特有のどうしようもないもどかしさを沢山の言葉に変えて、情景を描くようなメロディに乗せて、そうして口唇に滲ませてから喉仏を震わせれば、目の前には恋する二人が頬を赤らめて立っている様子が鮮明に見えてくる。
今まで幾つもの恋の唄を歌ってきた。相思相愛、片思い、許されない恋、──恋の形は多種多様だと思うし、どんなものでも恋は素晴らしいとはぼくの持論だった。
けれどそんなぼくでも唯一、いわゆる“失恋ソング”というものは歌ったことも作ったこともなかった。メディアもファンも気付かなかったそれにいち早く気付いたのはやはりというかなんというか、昔からいつも一緒にいたダイアンこと眉月大庵その人だった。新曲、と渡されたまだ詞のない曲に言葉を付けたものを渡すと、大庵は一瞬だけ眉間に皺を寄せたあと、何でもないことのように(そう、それはまるで「昨日の夕飯何食べた?」と聞くようなくらいに自然な声色で)言った。
「お前さ、そういえば失恋ソングって書かないよな」
「………まあね。恋は叶わなきゃつまらないだろう?」
「はん、どうせガリューのことだ、失恋なんざしたことがねぇから書けねぇっていうんだろ」
「さあ、どうかな」
やれやれといったように肩を竦めてギターの調整を始めた大庵の背を見つめながら、ぼくはまるで堰切ったように溢れ出しそうな言葉をどうにか堪えていた。
──大庵、ぼくが失恋をしたことがないだって? 愚かなまでの恋心は伝える言葉を見つける前に散っていってしまったよ。それなのにその想いは心の中をぢくぢく焼いて爛れさせてゆく。その傷口につける薬を見つけるより早く心が全て焼けて溶けてしまいそうなくらいに。好きだと伝えることが出来ない苦しみを、いつか君がこの想いを受け取ってくれるかもしれないという有り得ない未来への憧憬を、誰にも打ち明けられない悩みの原因を、ぼくがいくつもの歌に乗せているなんて、今まで誰よりも一番近くに居た君ですら分かるはずがない。
「……ねぇダイアン、」
どうした、と言ってはくれるが視線はギターに落ちたままだった。今のぼくにとってそれは僥倖に他ならなかった。泣き出しそうに歪んだ顔なんて見せられないし、見せたくない。
「Dの音、ちょっとずれてない?」
「……だな。凄ェ微妙なズレだけど。さすがガリューだ」
振り返って笑った大庵に笑顔を返せたことが幸いだった。ミュージシャンだけでなくこれなら俳優の仕事が来たとしても対応できるはずだなんて思いながら、ぼくはふと控え室の机の上に忘れ去られたように置かれた大衆雑誌に視線をやった。けばけばしいメイクで写る女性の横に、大きく黄色と赤の文字で書かれた文字がここからでも視認できた。『ガリューウエーブギタリストダイアン、美人モデルの家に一泊!?』──その横には小さな文字で下卑た煽り文句がいくつか書かれている。大庵がその雑誌の記事を知らないわけがない。だがこの落ち着きようは不思議になると同時にぼくを奈落へ突き落とすようなものでもあった。
──ねぇ大庵、ぼくが失恋したことがないだって?
いつも大庵は面白いことを言うよね、と思わず口にしそうになって、誤魔化すためにぼくは小さく咳払いをした。
作品名:恋 作家名:ラボ@ゆっくりのんびり