人か土か
赤茶けたやわらかい欠片を踏んで春までは草原であった場所へ呉用は立った。
激しい戦が行われた。焼き払われた陣の後はまだ煙がくすぶっている。
折り重なった骸の下より不意に這い登って来た手を、後ろから伸びた矛が躊躇い無く突いた。
「多忙な身が、このような所で何をしている」
ぐだり、垂れた手甲は官軍の色であった。
「まだ命があった。」
「この手傷では生延びる方が酷よ。傷から入った毒でぱんぱんに腫れて死ぬだろう。楽にしてやったまでのこと」
矛を押し込んで確実に命を屠る晁蓋は寧ろ微笑んでさえいた。
そうでなくとも腐った軍の裡では避けられぬ敗戦すら軍法で裁かれるか。死地にしか己の道を見出せぬ、敗将の末路は哀れである。
「ひとつの牌にさえ、値しない命ですか」
「そのようなつまらぬ煩悶は、抜けた男だと思ったが」
あらかたの死骸は既に敵兵や家族によって持ち帰られていた。残るのはかけらになってしまった体、無縁の体などである。
もう秋も終わろうというのに大地は血を吸い禍々しい熱気を持ち続ける。履を通じてじんわりと伝わる人肌のあたたかみ。
戦の熱が未だ残っているようだと呉用は思った。
「残党が居ない訳ではない、山へ戻れ」
「部屋に篭っていたのでは解らないことがあると、教えたのはあなただ」
険しい髭面を少し歪め、晁蓋は嘲う。
「軍師には向かない」
「そのような大層な肩書きは勘弁です。小邑の塾先生ですら荷が重い」
ここに転がっている骸のひとつで充分だ。
連れて戻ってくれる友も、肉親さえ居ない、壮絶で孤独な最後。
「私と同じだ」
「なに?」
風は身を切るように冷たい。
「戦場に立つのは好きです。雲霞のように群がる数多を跳ね上げ蹴散らして駆ける林教頭。真っ黒な血の飛沫をあげて咆哮る黒旋風。花栄の強弓が違わず咽を貫く時の、あの鋭い音。頚の後ろがぞわぞわとなって、朴刀を手にして駆け出したい気になる。」
「あんたの腕ではあっという間にあの世行きだろうがな」
違いない。馬にこそ乗れるように時々は鍛えているが、きったはったの方はさっぱりだった。
「昂ぶるその心は人の本性なのだろうと思います。しかし、生きた証を残したい、安らかに日々を暮らしたいと思う、これも間違いなく本性だ。どちらが本当ということもないのでしょうが」
おんおんと啼いている。山鳥の声だと晁蓋は云うが魂の猛り憤る声としか感じられなかった。
「平衡を失ってしまうと、人で無くなってしまう」
吾はまだ人でいられるのか?
あるいは。
…底知れぬ首魁は愉快そうに口元を吊り上げる。
「兄弟はどちらが良いんだ」
顎を動かすと黒い塊が槍のようなものを投げて寄越した。
雲が動いて逆光が晴れ、げじげじ眉が見えたので、ああ、魯智深かと息をつく。
「それ、坊主も連れてきたぞ」
賑やかな男が今日ばかりは静かに、いつの間に現われたのだろう。
貪婪な黒い足元にざくりと刃が打ち立てられた。
荷担ぎの天秤棒でも担ぐように、先の方が銀色に削れた大振りの鍬を肩に凭れ晁蓋は笑った。
「人で居たければ、手伝うのさ。」
埋めてやろうと差した先では花和尚が死骸をぼちぼち集めはじめている。
「ま、経は半分しか覚えちゃおらんから、浄土への道も途中までだが」
それでもまあ幾分かはましだろう。
「では、近くで荷車を借りて参りましょう。」
「…どちらを選ぶか」
街道へと翻した背にかかる声音は柔らかかった。
「結局は、それだけの事なのだろうよ。」