翡翠の簪
翡翠の簪
「……あら、まつ。」
いたのなら声を掛けてくれればいいのに。
そう言ってふわりと笑む様は優雅で、上品で、武家生まれの己には到底真似できるものでは無いと感じる。
濃姫様は自らを修羅と言うけれど、これ程までに美しく穏やかな修羅がどこに居ようか。
ほう、と見惚れていると、そのしなやかな手がひらひらと軽く手招きをして傍に寄るよう促された。
その手招きすら蝶のように可憐で、美しい。
「丁度良いわ、傍に来て頂戴。
この間商人が綺麗な簪を持ってきてね、貴女に似合うと思って買っておいたのよ」
鏡台から取り出した高級そうな漆塗りの小箱を開けるとまずきらきらと光を反射する翡翠が目に入った。
丁寧な銀細工の簪のところどころに嵌め込まれ、穏やかに存在を主張する翠。
「まあ……!」
「綺麗でしょう?この翡翠を見て、真っ先に貴方の顔が浮かんだのよ。」
「本当に、良いのですか?……あ、いえっ、いけませぬ!何の功労もしていませんのに……それだけのお品まつには勿体のう御座います!」
はいと気安く渡された箱を慌てて押し返す。確かに、美しい。
欲しくないと言えば嘘になるが、何も功績を残していないのに。高価な物なら尚のこと受け取れない。
「良いのよ。私が貴女に贈りたいの。ほら、まつ。この簪、貴女によく似合う」
濃姫様がひたりと頬に触れて、簪を合せる。
犬千代さまとは違う、柔らかい掌は繊細な動きで髪を優しく掻き上げた。
ほら、と手渡された手鏡を覗くと、新緑の色をした翡翠が差し込む日差しを受けてきらきらと輝いている。
自分で言うのも躊躇われるが、それは確かに誂えたかのように自分に似合っていた。
「ねえ、貰って頂戴。私、その簪を付けた貴女が見たいわ」
「……はい」
穏やかに重ねられた暖かい掌にゆっくりと鼓動が上がってゆく。
惜しげも無く与えられる寵愛に身を委ねると濃姫は嬉しそうに微笑んだ。
「今度は、この簪をつけて参りますれば」
「ふふっ、まつ。約束よ」
安土城に来るたびに、濃姫様に無邪気に愛される事が出来る"女"であることの喜びと、
この美しい人を私だけの物とすることが出来ない少しばかりの後悔を、幾度もこの胸に刻みつけるのだ。