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理解不能 -inscrutable-

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石造りの建物に挟まれた路地裏の袋小路には太陽の光が届かず、見上げたジャーファルの視界には壁で切り取られた青空が広がっていた。鼻孔を血のにおいがくすぐり、自分の体を見れば服が血で汚れていた。

(失敗した……)

ジャーファルは自分の足元に転がる「いまはもう生きていないもの」を見た。それから流れ出す赤が地面を塗りつくしていき、ジャーファルは靴が汚れないように後ろに下がった。
止めを刺す直前に予想外の反撃にあったが、ジャーファルはそれをたやすくかわした。代わりに目標に近づきすぎ、結果返り血を浴びる羽目になってしまった。

(せっかく、シンに買ってもらった服なのに)
べっとりと、まだ生温かい赤が手と服についていた。
(洗ったら、落ちるかな?)

染みが残ったら嫌だなと、よそ事をしていたせいで一瞬背後の気配に気づくのに遅れた。振り向けば、袋小路の入り口にシンドバッドが立っていた。自分を探していたのだろうか、すこし息があがって肩で息をしていた。なぜだかそのことがジャーファルには嬉しくて、ちいさく微笑んだ。

「こいつ、シンのことを殺そうと狙ってたんだ」

そう言って、足元を示す。この街に入る前から不穏な気配をジャーファルは感じ取っていた。だから、誘い込んで、追いつめて、殺した。
シンドバッドの息はようやく落ち着いてきたが、代わりに眉間に皺が生まれた。それを見て、ジャーファルは不安になった。

(服、汚したから怒ってるのかな?)

謝ったら許してくれるだろうか。許してくれないだろうか。不安はどんどんおおきくなって蛇のように体に巻きついていく。
ざっ。シンドバッドが一歩足を踏みだして、砂利を踏みつぶす音が袋小路にひどく響いて、ジャーファルは肩をすくめた。シンドバッドがどんどん近づいて来て、ジャーファルの目の前で立ちどまる。

「……怪我は?」
「ない……」

その返事に、シンドバッドは肺どころか体中の酸素をすべて吐きだしたのではないかと思うほどおおきく息をついた。だが、眉間の皺は消えない。

(やっぱり、怒ってる)

素直に謝ろうと、ジャーファルが口を開くよりも前に、シンドバッドはジャーファルの右手をつかんだ。その拍子に、赤が一滴流れて地面に染みを生んだ。

「……俺を、守ってくれたのか?」

シンドバッドの静かな問いに、ジャーファルはうなずいた。そして、一拍置いてシンドバッドはジャーファルの頭につかんでない方の手を置いた。

「……よく、やった」

ジャーファルは恐る恐る顔を上げて、シンドバッドの顔を見た。眉間に皺が寄ったままだったが、眼の色は怒ってはいなかった。
褒められるためにやったわけではなかったが、いままでの主はジャーファルの仕事の成果に「よくやった」と目を輝かせていたものだった。しかし、シンドバッドの眼の色はそれとも違っていた。

(これは、)
(悲しんでる?)

もっと探ろうと、シンドバッドの眼の奥深くまでのぞきこもうとしたが、シンドバッドに体を抱きしめられることでそれは叶わなかった。
服越しに、赤とは違う、生きているシンドバッドの温かい体温を感じた。

「シン、服が汚れるよ」

しかし、シンドバッドは体を離すどころか腕の力をより強くした。

(ちょっと、痛い)

しかしジャーファルはそれにあらがう思考はなく、ただ先ほどのシンドバッドの眼の色について考えていた。

(なんで、シンが悲しむの?)

せっかく買い与えた服を汚されてしまって悲しんでいるのだろうかと思いあたったが、どこか違う気がした。あれこれ可能性を考えてみたが、どれもしっくりこず、ジャーファルは思考の迷宮に迷いこんだ。その時、迷宮の外からかすかにシンドバッドの声がした。

「すまない……」

本当にかすかな音だったが、確かにジャーファルの耳にはそう聞こえた。

(なんで、シンが謝るの?)

そう問いかけたかったが、シンドバッドが自分を抱きしめる腕が息をするにも苦しいほどで音にするには難しかった。
服を汚してしまったことで、ジャーファルはシンドバッドが怒っているものだと思っていた。しかし、シンドバッドの眼の色は怒りのものでも喜びのものでもなく、哀傷を感じさせるものだった。

(なんで、シンが悲しむの?)

答えを探そうと、ジャーファルは唯一自由に動かせる頭を上に反らして青を見上げたが、答えは降って来そうになかった。
作品名:理解不能 -inscrutable- 作家名:マチ子