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堕落者14

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 左手で食べるようになったのは、本来二度の右手骨折を経てからだったが。それに、箸でもあるまいし、一本の棒を操るぐらい、利き腕でなくとも出来る。
「だから大丈夫だよ。右手は利き腕だし、少し不便なのはそうだけど、左手もそれなりに器用だからね、生活に支障はないよ」
 そう言えば、やっと跡部は表情を緩ませた。けれど、むーちゃんはまだ私の右腕を気にしているようだ。見た目が見た目、大怪我ですと言ってはばかるかのように、ギプスで固定され、首から吊られた右腕だ。
「むーちゃんも心配しないで。ね?」
 私はむーちゃんの頭を撫でた。いつも右手で撫でていたけれど、左手でも事足りる。何度も何度も撫でていれば、彼も少しは安心したようだった。
 その後はいくつか跡部から質問を受けた。手術は怖くなかったのかとか、左手はどのぐらい器用なのかとか、右手はいつ頃治るのかとか。一ヶ月と少しで完治すると言ったら驚いていたが、来週から幼稚舎に通う事を話すと喜んでくれた。
 来週、実際幼稚舎に通い始めると、跡部は何かと私の世話を焼くようになった。跡部は今まで私より遅く幼稚舎に来ていたが、初日、跡部達は既に来ていて、むーちゃんと二人、幼稚舎の玄関で私が来るのを待ち構えていた。それからというもの、跡部は私の鞄を自ら棚に入れてくれたり、鞄から物を出す時も必ず手伝ってくれたり、遊びには、いつのまにかお医者さんごっこが増えていたりした。彼らのお陰で、本当に生活に支障をきたさなかった。もちろん、「たいいく」の時間は見学だったし、両手を使う作業はろくに出来なかったけれど、全くと言って良い程、不便が無かった。右手が使い物にならなくなった所為か、異様に左手は器用になり、文字を書くのも問題なかった事もある。一番困るはずのお風呂も、鈴の念力によって、お湯に付けても濡れる事がなかった。
 思うよりも早く時間は過ぎ、一ヶ月と数日後、鈴はギプスと、腕の中に入れていた金属棒を取ってくれた。本来なら病院に行くべきだが、透視の出来る鈴がやってくれた事なので、心配ないだろう。外してすぐ、私は腕を動かそうとした。しかしぴくりとも動かず、唖然とする羽目になる。
「問題ない。一ヶ月動かさなかったのだから、脳が動かす事を忘れている。リハビリをして、少しずつ動きを思い出していくしかない」
 鈴がそう言うのは尤もだ。私はふと、比較的記憶に新しい、指にヒビを入れた時の事を思い出す。その時は約半月、指は固定され、その固定が外された直後、指は全く動いてくれなかった。自分の指だというのに動かない。その時の私は過去に二回も腕を折っていたというのに、気味悪く思ったものだ。
 私は左手で腕に触る。感覚まで死んでいるはずも無い。触ればくすぐったさを感じた。腕には、金属棒を入れて閉じた、手術の縫い目が残っている。
「手術跡、気になるか」
「ううん。前の腕こそ、この跡が無くて気持ち悪かった」
 一ヶ月という長い間、首から吊っていたこの腕は、目の前に伸ばしてみても、真っ直ぐに伸びはしない。肘が内側に曲がりこみ、外に沿って伸びる猿腕と呼ばれるこの腕こそ、しかるべき私の腕だった。




2009/01/11
作品名:堕落者14 作家名:直美