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臆病者

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永く生きていると、色々な事が上手くなるが、中でも、ものをごまかす才能というのは、時に恐ろしくなるほど磨かれていくものだ。
自分自身の気持ちでさえ、欺けるようになる。
結局はそれが幸福に繋がるのだ。
アーサーは、身を以てよくよく知っている。
菊の部屋の卓袱台の木目を数えながら、アーサーは言った。

「なあ、菊。ずっと友達でいてくれるよな?」

アーサーの言葉に、菊はちょっと首をかしげた。
男にしては長い髪がばらばらと頬に掛かった。

「いえ、まさか」

相変わらず菊は無表情だったので、アーサーにはそれが冗談なのか、些かの皮肉を含んでいるのか、それとも徹頭徹尾本気なのか、ちっともわからない。
焦れて机を指で幾度も叩いた。
こんな思いは、欧州の敵国にだって滅多にさせられない。
いつだって、自分は居丈高に要求を示す側なのに。
無意識に、既に、菊を『敵国』として考えていたことに、アーサーは身ぶるいした。

「どうしてだよ、菊」

名前を呼ぶと、菊はようやく表情を変えた。
目だけが笑っていない。
見た者の不安を強烈にかき立てるような笑みだった。

「私、大陸にいるむかしの兄によく『欧州の方々は物わかりも察しもよくないから、物事ははっきり伝えなければならない』と教えられてきました。けれども、アーサーさんは私と同じ島国のご出身ですし、気質にも似た所があるので、とても親しい心持ちでお話をすることが出来ております。けれど、やはりこのような事ははっきりお伝えしておかなければなりません。さもなくば、私たちお互いに不幸になってしまいますから」

アーサーには、菊の声が言葉に聞こえなかった。
ただ、きりきりと弓を引き絞る音に聞こえた。
彼は一呼吸置いて、また無表情に戻り、何でもないことを付け加えるように訥々といった。

「もし、アーサーさんが、アルフレッドさんに何かの方法で危害をお加えになるというのなら、私はその瞬間からあなたを仇敵と思う他はありません。おわかりでしょうけど、どちらが好きだとか嫌いだとか、そんな単純なお話ではありません。ただ、私、脚がないので、義足がないと歩けないんです。あまり馴染みのよくない足ですが、まあ、私は慣れる前に死ぬでしょう」

最後のは、彼なりの冗談だったようで、菊は、ふと、息を吐く音だけで笑った。

「どうして」

アーサーは、もう菊の顔を見ていられず、自分の爪を眺めながら、同じことを、もう一度呟いた。
菊は長い間黙って、ようやく、口を開いた。

「申し上げたのは、私の為なんです。いつかが来る前に申し上げておかないと、私だって辛い」

アーサーは、菊が泣いているのかと思って、勢いよく顔を上げた。
しかし彼の顔は、依然、何の代わりもなく、無表情だった。
ふっと、何かに引き寄せられるように、菊の手を取った。
二人でじっと黙ってお互いの絡み合った指を見ていた。
震える唇で、アーサーは、菊にしか聞こえないように、ひとつの言葉を言った。
菊は、かすかに、世界中でアーサーにしかわからないくらいに頷いた。
知らない傷や皺の下で、青い血管が脈打つのを、見つめていた。
まるで、知らない手のように見えてきた頃、先にその手を離したのはアーサーだった。

「冗談だろ? 俺が言ったのだって全部冗談だよ。もう帰る。飛行機の時間があるから」
「ええ。勿論、存じ上げております」

そうして、アーサーは、トレンチコートをかたくかたく身体に巻き付けている内に、菊の手の感覚をもう忘れてしまった。
菊はいつものように玄関まで見送りに出て「またいらしてくださいね」と静かな声で言った。
崩れかけた臆病な生活が危ういところで保たれ、また平穏に続いていく。
これ以上の幸せを知らなかった。
作品名:臆病者 作家名:鴨島