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のみこまれる

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夏休みが明けても夏の暑さが和らぐ気配も、蝉が鳴き止む気配もなかった。窓の外に目を向ければ青空が広がっている。ジリジリと肌を焦がす日差しが眩しくて、薫は少し目を細めた。もう一度青空を仰ぎ、そして視線を戻すと教室に向かって足を進めた。廊下を歩いている時から聞こえていた声のボリュームが、教室のドアを開けると一気に上がった。冷暖房が整っている学園が暑いわけではないが、その日教室は異様な熱気に包まれていた。いつもは課題に追われるクラスメイト達が興奮気味に一つの机を囲んでいる。思春期の男子における異様な盛り上がりかと思いきや、クラスの女子もいつもに増してお喋りであった。薫はひどく盛り上がる教室を軽く見回し、特に食いつくこともなく席に向かった。

「お、来栖はよっ!」
「おはよう」

 薫の存在に気付いたクラスメイトの挨拶に薫はにこやかに返した。鞄を机に置いて椅子に座ろうとしたところ、机を取り囲む集団から離れて薫の元へやって来たクラスメイトの一人が薫の腕をガシっと掴んだ。

「来栖も少し見てみろよ」
「え、ちょっと…」

 友人は薫の制止の声もお構いなしでクラスメイトが集まる机へと薫を連れて行く。集まっていた少年たちは彼と引っ張られてやって来た薫の存在に気付くと楽しそうに口端を持ち上げ、薫と友人が輪に入れるようにスペースを開けた。訳が分からずに「なに?どうしたの?」と声を上げる薫だったが、周りの少年たちはいいからいいからと言って詳しい説明は一切せず、戸惑う薫の背を押すばかりであった。

「な、これ」

 そう言って目の前に押し付けるようにして何かが突き出される。近すぎて見えないと距離を取ると、友人は悪いと気持ちの篭っていない謝罪の言葉を口にした。「来栖全然興味なさそうにしてたけどさ、やっぱ1回は見た方が良いって」という台詞と共にゆっくり差し出されたのは雑誌だった。開かれたページをそっと覗き込み、目に飛び込んできた写真に思わず身体が硬直する。

「えっ」

薫の様子をじっと伺っていた周囲の少年たちが零れた声と僅かに反応した身体に気付き、嬉々とした声を上げた。

「おっ、来栖が食いついた!」
「やっぱり可愛いよなあ〜、分かるぜその気持ち」
「しかし遅かったな来栖。ゆいちゃんはもう引退してしまったのだ!」
「…引退?」

 その言葉に首を傾げる薫にクラスメイトはご丁寧にファッションモデルゆいこと小傍唯の説明をしてみせる。しかし彼女は謎に包まれた少女だ。年齢や出身地、そして生年月日など彼女に関する情報は一切分からないままである。媚びないツンとした表情。こちらを見つめる青い瞳に曇りはなく、澄んだ瞳には力強い光が宿っており挑戦的な印象を受ける。
 謎のツンデレ美少女、ゆい。
 名前やそういったキャッチフレーズを持つ少女がいることは知っていたが、特に興味が湧かず薫はその姿を見たことはなかった。理由は特にない。ただなんとなく。じゃいけないだろうか。今日初めて噂の少女を見て、クラスの男子だけでなく女子までもを魅了してしまう理由が薫にも分かった。しかし、薫が目を奪われたのはその少女の容姿ではなく青い瞳だった。彼女の瞳を見た瞬間、薫は目を見開いた。彼女の瞳は、今ここにはいない薫の双子の兄、翔を彷彿とさせた。しかもその瞳はいつも自分に笑いかける柔らかいものではなく、何も揺らがない強さを携えたときに見せるものであった。それが、薫を駆り立てた。嫌だと、本能的に感じた。

「……」

 兄の翔がその瞳で自分と向き合うとき、それは意見が食い違っているときだった。頑固だという自覚はあるが、兄も頑固だ。何を言っても届かない。守ってあげたいのに守らせてくれない。伸ばした手が届かず空を切る。やりきれない。もどかしい。一瞬にして不安が膨らむ。嫌だと薫は不安から逃れようと頭を左右に振るとほぼ同時に予鈴が鳴り響いた。

「やべっ、小テストの勉強してねーや」

 クラスメイトはチャイムの音にそそくさと自分の席へと戻っていく。雑誌を神妙な面持ちで見ていた薫に気付く者はいなかった。焦った声をあげなから参考書を取り出し、パタンと雑誌が閉じられる。その動作に薫は我に返ったように顔を上げて雑誌に背を向けた。何事もなかったかのように席に戻り、机の上に置いたままの鞄を片付ける。

「はい席に着いてー」

 いつものように担任が声を掛けながら部屋に入ってくる。薫もいつものようにペンケースから愛用のシャーペンを取り出す。前から配られてきたプリントの束を受け取り、一枚取ると残りを後ろに回す。そして氏名の欄に来栖薫と書き込む。いつもと何ら変わらない作業。そのはずなのに、薫の脳裏に一人の少女がちらつく。

「っ」

 強い眼差しで見つめてくる人物。揺るがない視線。強い光を宿したその瞳を脳裏から掻き消そうと薫はぎゅっと目を瞑った。押し寄せてくる不安という名の波を感じて薫は唇を僅かに動かしたが、その声も夏の喧騒に飲み込まれてしまう。残暑が厳しく、青い空がどこまでも広がる日の出来事だった。

作品名:のみこまれる 作家名:かやま