御握りと沢庵
日付が変わってしばらく。いつものように机に向かっているとふいに自室のドアをノックされ、内心舌打ちしながら重い腰を上げた。この家に住む者は自分を除けば一人。だが、訪ねてきた相手は本来いるはずの人物ではないとロロは分かっている。だからドア越しに呼びかけられても返事はしなかった。無言でドアを開くとそこで待っていたのはやはり。
「はい。ですから、毎晩遅くまで忙しくしていらっしゃるようですので、お夜食をお持ち致しました」
「それはさっき聞いた。……まったく、頼みもしないことばかりするんだね」
昼間は兄の姿でさんざん女生徒たちにいい顔をしておいて、自分は影武者のお役目を果たしているなどと言う。その結果何人もの心を無責任に弄んでいるのだ。ルルーシュが愛しているのは弟である自分だけだというのに。また、咲世子がルルーシュのことやクラブハウス内の勝手などで度々知ったような口を利くのも、この闖入者を快く思わないロロの癇に障った。
「ルルーシュ様から、お食事の面倒も見るようにと言われておりますので」
「兄さんが?」
ゼロとして中華連邦へ発った兄は、何度か状況確認の電話を寄越したきりだった。あんなにそばにいたのに、今は世間と同じくニュースでしか彼の動向を知ることが出来ないのがもどかしい。そんな中でも兄に気に掛けてもらえているということが嬉しく、自然と頬が緩んだ。
普段つんけんしている割に意外と顔に出るタイプのロロに、良くも悪くも子どもっぽい気質なのだと咲世子は改めて思う。そんな咲世子の思案を知る由もなく、ロロは気を取り直して質問を繰り返した。
「で、それは?」
「お嫌いでしたか?」
かみ合わない。
「だからその、それは何かって聞いてるんだ」
要領を得ない受け答えに苛立ちを覚える。同じように、相手も何が伝わっていないのか理解できていないらしく、こてりと首を傾げた。その姿でそんな頼りなげな態度をとらないで欲しい。
クラブハウスの中の監視カメラは操作済みだというのに、未だに兄・ルルーシュの変装をしたままの咲世子は、制服のワイシャツの上から女物の白いエプロンを掛けて現れたのだ。手には、トレーに乗せた夜食と称する食べ物と、おしぼり、箸が一箭。眉間の皺の本数が増していくのを感じながら、ロロは恋しい兄と瓜二つの顔から目を背けて、再び口を開く。
「そっちの三角のお米は分かるよ。兄さんが作ってくれたことがあるから。そっちじゃなくて、横の黄色いのは何?」
皿の上には三角形に整えた白米に海苔が巻いてあるものが三つ。これは確か、中に具が入っていたりするやつだ。そしてその脇に添えられている、鮮やかな黄色の半円形が数切れ。ルルーシュの自慢の手料理の数々は国籍を問わず、日本食がテーブルに上ることも幾度かあったが、こちらは初めて目にするものだった。
咲世子はやっと得心がいったようで、皿をひょいとロロの目線近くまで持ち上げて答えた。
「おにぎりと、たくあんです」
違うとわかっていても、自分だけに向けられた裏のない微笑みにほんの少しだけ頭の奥の衝立がぐらつくのを感じた。しかし、放っておいたらそのまま口に運んで来そうなほどに近いおにぎりとたくあんをトレーごと手荒に受け取り、背を向ける。この女ならやりかねないと思ったし、自分ではどうにもできない、ロロの心の機微を嗅ぎ取られるような気がして、わざと煩わしそうな態度で応じてやったのだ。牽制というよりも、冷静さを欠いたやつあたりじみた対応だが。
ちらりと横目に見ると、優しい兄の笑顔を貼り付けたままのメイドはまだこちらの様子を伺って佇んでいる。まだ、いる。まだいるのだからドアを閉めるついでに、そう、ついでに一言言っても問題ないだろう。
ルルーシュのいない中、連日の自主勉強は想像以上に進みが悪く、今日ももう一時間は机に向かうことになりそうだ。しばらく前からの空腹感が影響していた面もある、かもしれない。ロロは逡巡する。こんなの、ルルーシュになら自然に言えてしまうのに。
「……咲世子、あの……」
口を“あ”の形に開けて準備して、そのままたった一言声に出すだけだ。ぎこちなく振り返り、視線をどうにか合わせると、兄の顔がまた笑い掛ける。肩の力が抜けていく気がした。なんだか“お前のことならわかってるよ”と言ってくれるときの表情に似ていて。そしてロロが言うより先に、そのきゅっと笑みを湛えた唇が動いた。
「お箸よりフォークのほうが宜しかったでしょうか」
「……馬鹿にしてるの?」