記憶の根本に存在する【メフィ燐もどき】
その能力も、知識も、私は到底敵わないと思った。
なによりも決定的なのは、兄だけが持つ青い炎。
父上が王である証と同じ物を持つ兄を、私はただ尊敬していた。
けれど、兄は同時に儚い悪魔でもあった。
「メフィスト」
兄の自室に訪れたとき、私はその微笑みに心をかき乱せる。
雪解け水のような淡く、うっすらとしたその笑みに、恐れを感じていたのかもしれない。
虚無界最強と言われる父の力を、兄の身体は耐えられなかった。
その強大すぎる力に、兄の悪魔としての身体は脆かったのだ。
「どうした?メフィスト。こっちへ来なさい」
「はい、兄上」
いつまでも入り口で立ち止まっていた私を兄が促す。
おいでおいで、と手招きする細い腕を掴むと、恭しくその細い指に唇を落とした。
兄がクスり、と笑う音がする。
「お前は相も変わらず気障だねぇ」
「そんなつもりは毛頭無いのですけれどね」
クスクス笑う兄に、私は苦笑を漏らす。
「ではそれはお前の天性なのだろう。魔性な悪魔らしいな」
「褒め言葉として一応頂いておきますよ」
「そうしておいてくれ」
どこか遠くを見ているように兄は目を細め私にほほえみかける。
力なく笑う兄の表情に、だんだんと鈍くなる兄の動きに、
そしてその脆弱な笑みに、私は知った悟った。
兄の命が日々失われているということに。
「兄上・・・」
私は今、この感情に名前があるというのなら教えて欲しいと思う。
心が掻き乱されて、押しつぶされそうな圧迫感があって、
息がし辛いほどに苦しくてたまらない。
「メフィ。そんな顔をするなよ」
兄の細く白い指が私の頬を撫でた。その手に私は自分の手を添えて顔をうずくませる。
「悪魔のくせにお前は感傷的だね。もっと打算的におなり」
「兄上・・・っ」
「お前はまだ年若い。これからもっと色々な事を知るだろう」
兄は声を荒げることなくただ、当り前のように淡々と話を続ける。
私は喉が灼熱の炎に焼かれるが如くに痛み出し、声が思うように出なかった。
「人生を、時を楽しみなさい。悪魔として果てしない時をお前は生きる」
その言葉が独りで、と暗に言われている気がして、ますます私は声を詰らせる。
「メフィ、俺はお前の兄として存在できて楽しかったよ。
けれど、すまない。俺の命はここら辺で終わるらしい」
「っ」
「実に楽しい遊戯だった。死ぬことが負けとは思わないよ?
私はこの遊戯に勝者は無いと思っているし、なにより俺自身が楽しかったしね」
「・・・兄上らしい」
私は兄の掌から顔を上げると、本当に楽しそうな笑みを浮かべている兄が視界に入った。
「メフィ。もう一度言う。楽しめ、この人生という名の遊戯を。
もっとも楽しめる方法は、自分が自分の駒になることだ。傍観だけだと退屈だからね」
「・・ふふ、分かりました。今度試してみます」
「あぁ、そうしておくれ」
兄の言葉に、私は漸く笑みを浮かべることが出来た。
ただ、いつもと違って顔の筋肉が少し動きづらかったが。
「さぁ、メフィスト。そろそろお前は父上の元に向かう時間だろう」
「あぁ、そう言えばそうですねぇ」
「こら。それくらいは把握しておけよ」
「はい、兄上」
兄は私の頬から手を離す。私も兄の意志に逆らうことなく、その手を離した。
「じゃぁな」
「はい、それではまた兄上」
ひらひらと手を振る兄に私は軽く会釈をしてその部屋を後にした。
それが、私が一番上の兄との最後の会話。
あれから何百年たったのか。自分でも分からない。
兄が死に、アマイモンが生まれ、そして物質界に末弟が出来た。
父上の気まぐれを見に、物質界に訪れた時、私は不本意ながら衝撃を隠せなかった。
なぜならその子供は、父上と、兄上と同じ青い炎を持っていたから。
そして、その赤子の容姿が、兄の面影と酷似していたから。
「メフィスト、この子供どうする?」
藤本の言葉が左から右へ流れていく。私はそっと幸せそうに眠る赤子の頬を撫でた。
「兄上・・・」
「ん?」
無意識のうちに零れた単語。数百年ぶりに紡いだ言葉に、なぜだか違和感を感じる。
目の前にいるのは兄ではない。似た身なりをしていようと己の末弟だ。
私の呟きに藤本が小首をかしげているのが視界に入ったので、
私は軽く首を横に振った。
「ふ、いいえ。なんでもありません」
「そうか?で、どうする?」
「そうですね・・・では、こうしましょうか」
突然、兄の言葉を思い出した。
『楽しめ、この人生という名の遊戯を』
自然とあがる口角を私は隠そうとはしない。
藤本は私の笑みを見て、ぶしつけな視線を向けてくるがそんなこと気にするわけもない。
兄上、私は兄上の言うとおり楽しんでみようと思います。
今まで生きてきて、自分自身を駒として扱った事などないのですが。
まぁ、なんとかなるでしょう。
「この子供を人間として育てましょうか」
そしてまた短い年月を経て、末弟は私の元に着た。
兄とは似ても似つかぬ性格となって。
「本当に、容姿は似ているのですけどねぇ」
月明かりが差し込む寝室で私は1人書類に目を通す。
これでも忙しい身で一応は仕事をしないといけない立場だ。
面倒だと思いながらも、流し読みしては無意識に入る情報を頭で整理する。
その中に紛れ込んでいた身分証明調査書に、私は呟く。
兄と似た姿を持つ弟は、生き生きと己の望むまま動き回る。
私が知っている兄とは全く違う、違うはずなのに。
「どうして、私はこうも・・・」
感傷的、なのだろうか。自分では分からない。
そして教えてくれる兄も、もうこの世にはいない。
「兄上。私は今、自分という駒を使ってこの遊戯を楽しんでいますよ」
父上を欺き、バチカンを逆手にとって、私は博打をしてみせよう。
兄上が言った、楽しみ方で。
それで私がどうなろうと知ったことか。楽しめばいいのだ。
自然とあがる口角。私はその調査書を指先ではじくと、いつもの合い言葉を口にする。
「アインス、ツヴァイ、ドライ」
指を鳴らせばその書類だけ、一瞬にして灰になった。
「さて、我等が末弟はどこまで私の遊戯を楽しませてくれるのだろう」
もっと、私を楽しませておくれ。
退屈など、つまらないからね、燐。
作品名:記憶の根本に存在する【メフィ燐もどき】 作家名:霜月(しー)