夜鷹の瞳3
不本意であるが自分は女のような顔立ちらしい。
あんなにベタベタ触っておきながら、マグリブは服を脱がすまでジャーファルが男だと気づかなかった。目の前にいる、この国の王だという男だってジャーファルの裸を見てようやく気づいたくらいだ。
ジャーファルは側にあった掛布を身体に巻き付けて簡単に帯を結ぶと、ヒョウを構えた。
「今までの殺人事件もお前の仕業か?」
シンドバッドが剣を向けて問う。
計画ではシェラザードがシンドバッドを引き止める手筈になっているのに一体何でこんなに早くやってくるのか。盲目の踊り子の姿を思い浮かべてジャーファルはげんなりした。おそらくシェラザードがいつもの気まぐれを起こしたのだろう。彼女のおかげで計画が狂ったことは何度もある。この間の仕事も彼女が対象を怒らせたせいでジャーファルが床の相手をする羽目になったのだ。もちろん手を出される前に殺したが。
「あんたの暗殺依頼は受けてないが、顔を見られた以上殺す」
「俺としては助けに来たつもりだったんだがな……。まあいい、その前に質問に答えろ。殺された領主たちとお前たちはどういう関係なんだ」
「関係なんてない。俺は依頼があったからこの国にきただけだ」
「命令があればどんな人間でも殺すのか?」
「殺す。子どもだろうと老人だろうと」
「それならば俺を狙えばいいだろ。領主の横暴は国王である俺の責任だ」
「依頼主からはそうは言われていない」
通り一辺倒な返事にシンドバッドは舌打ちをした。話して解決する相手ではなさそうだ。
「こっちも殺人の犯人を見た以上逃すわけにはいかないんでね……」
シンドバッドは構えた剣を握り直すとジャーファルを見据えた。あの武器は遠距離向けだ。先ほど裸を見たから他に武器がないことは確認済みである。
(ならば相手の懐に入れば……!)
そう判断し踏み込んだ瞬間、思考を読んだジャーファルは一度膝をぐっと沈めてから力強くヒョウを放った。
放たれたヒョウは矢の如く鋭い勢いでシンドバッドの急所めがけて飛んでくる。それをよけると体勢の崩れたところに二撃目が放たれるが先ほどより勢いが弱い。おかげでシンドバッドはそれも間一髪でよけた。武器が手元に戻ってくるまでは相手は無防備。シンドバッドはその隙を逃さず剣を振り上げた、その時――。
「っ!!?」
背筋に悪寒が走りシンドバッドは本能のみで身を翻すと、右の二の腕に鋭い痛みが走った。次いで、裂けた皮膚から血が滲み衣を赤く染めた。シンドバッドが避けたはずのヒョウの一つが何故か背後から襲ってきたのだ。
「……そういう使い方もあるわけだ」
敵ながら天晴、といったところだろうか。
ジャーファルが放った二撃目のヒョウは避けられることを想定していたのだろう。そして予想通り避けられたヒョウの切っ先は絶妙な角度で壁で跳ね返り、シンドバッドに返ってきた。二撃目の勢いが弱かったのもそのためだ。一撃目と同じ勢いで放たれていたらヒョウは壁で跳ね返らずにそのまま刺さってしまっていただろう。
(しかも刃に薬塗ってやがったな…)
傷を受けた右腕からじわじわと痺れが広がり出し、指先にうまく力が入らない。シンドバッドは剣を利き手とは逆の左に持ち替えた。
間一髪。
――だが、わくわくする。
危険と隣り合わせ。細い糸の上を渡るようなこの緊張感は迷宮を攻略した時のような言い知れぬ高揚感があった。人生はこうでなくちゃ面白くない。思わずシンドバッドの口元に笑が浮かぶのをジャーファルは怪訝な表情で見つめてきた。
「何笑ってるんだ、あんた」
「何って、楽しいからにきまってるだろう?」
「楽しい? 頭おかしいんじゃないか?」
「そうかもな。俺のことをバカ殿なんて呼ぶやつもいるくらいだしなっ!」
そう言うや否やシンドバッドは再び踏み込んだ。油断していたジャーファルは一瞬ヒョウを放つのが遅れた。常人ならばまだしも、このシンドバッドにはそれは大きな隙となる。最初の作戦通りジャーファルの懐にはいったシンドバッドは鳩尾を剣の柄で殴り、急所をやられたジャーファルは激しく噎せて床に突っ伏した。
「やれやれ」
シンドバッドは深く息を吐いて剣を鞘に収めた。なんとかなったものの年下の少年に押されたというのは七海の覇王としてちょっと頂けない。鍛えなおさないといけないなと思いながら、シンドバッドは服の裾を割いて即席の紐を作ると毒の進行を遅らせるために傷口を縛った。
「さて、お前をどうしたもんかな」
ジャーファルを見下ろすと射殺すような眼差しでシンドバッドを睨んできた。とりあえず武器を取り上げようと膝を折ったとき、窓の外で甲高い鷹の鳴き声がした。
反射でシンドバッドがそちらに目を向けると、眼前に一羽の鷹が迫ってきた。
「っ!?」
咄嗟に腕で鷹を防ぐと、鷹は足で掴んでいた硝煙弾を部屋に放した。
たちまち部屋は白煙で包まれ、煙が目に沁みて開けていられなくなる。シンドバッドは袖で口を覆うが間に合わず、吸い込んだ煙に噎せ返った。何も見えない中でもう一声鷹が鳴いた。
ジャーファルにはその鷹を誰が放ったかわかった。そしてこの好機を逃すまいとシンドバッドの命を狙おうと立ち上がったとき、何者かに腕をつかまれた。
「その人を殺してはだめ」
「シェラザード?」
思いもよらぬ人物に驚いた。しかし顔を見られたからには消す必要がある。ジャーファルが逡巡しているとシェラザードは一層強く腕をつかんだ。
「その人は大丈夫。だから来なさい」
普段とは調子の違う声音にジャーファルは疑問を感じつつも従い、二人窓から飛び降り隣の建物の屋根に移った。
「待っ……」
待てと言おうとしてシンドバッドは煙にまた噎せた。窓から顔を出して酸素を吸い込み落ち着く頃にはあの二人の姿はどこにもなかった。
あるのは黙って浮かぶ月ひとつ。
―――そしてどこかで響く夜鷹の声。