アシンメトリーにわらう
積もりに積もった疲労を跳ね除ける様にレンが腕を伸ばした。
本日分の仕事も終わり、後は帰宅する迄の道のりの所。先程二人で歌ったラブソングのサビが未だ頭で反響しているのが何と無くこそばゆかい。半歩程私の先を行くレンを見遣れば笑顔が浮かんで、温和な空気が長らく続いた仕事の所為で緊張した胸を溶かしてくれる。
「あのマスター神経質なんだもん」
「ほんっとほんと。それにあの変調ムズすぎ」
「まあ確かに歌うのがリンとレンの仕事かもしれないけどー」
ほんのちょっとの本音と大体の冗談が雑じった愚痴が一緒に悪戯を仕組んでるみたいで楽しい。レンも一緒みたいで面持ちこそ酷く不満気だったけれど、心内はとても楽しそうにいるのが私には見て取れた。きっと他の人には分からない、極々僅かなその色が私には容易く分かれる。そして視界の隅で見慣れた金髪が揺れたと思ったと同時、此方を一瞥したレンと視線が合った。だが何か考えているのかは今度は何故かよく、わからない。最近時々こういうことがある。別の存在かの如く、通じられた私と彼の意識が遮断されるのだ。別の生き物みたいに綺麗に分割される。深海を宿した瞳の無垢な色だけがヒリヒリと痛く此方に伝わって刹那がスローリーに流れて行った後、不意に小さく笑みを浮かべてからレンは又前方へと視線を流した。
「腹減ったー」
「今日はカイ兄が担当だって」
「まじ?ねーわアイス鍋とかだったらどうしよ」
「それって鍋である必要無くないですかー」
「ごもっともで。その言葉そのままカイ兄に言ってやれよ」
口調は緩く、歩調も緩い。かと言って遅すぎる訳でも無く、然し速い訳では決して無い。私達の行く充てへの歩調と恐らく一緒。最終的に辿り着く其処への。早く、着いて荷を降ろしたい様で、未だのんびりと歩いて居たい様な苦い気持ち。…辿り着きたくない?宙ぶらりんになっている私達。足下も見えずただただ前を向いて歩くしかない憐れな子供達。自嘲的になんてならないけど、やっぱり辛いのもある。だってリンもレンもまだ、14歳だ。まだ、14歳。先がいっぱいある筈の、青痒い鮮やかな日々がある筈の、リン達。
は、と意識を戻せば意図せず感傷的になった自分が居て馬鹿らしくて泣きたくなった。こんな感情に渦巻かれるようになったのも最近だ。何でだろう、多分レンと意識が遮断されるようになったのが一番の原因なのだろうけれど。
私が考えている事が彼とて容易く察する事が出来るのだろう。一歩留まり態と僅かの沈黙を置いた後に酷く優しく笑って、何事も無い風を装って愉しげに彼は続けた。
「それにしてもさ、この頃恋愛系の仕事多くねえ?」
「ねー。あ、でもリンは別にいいかも。楽しいし、なんかこうきゅんってする!」
「えー。そうか?俺は苦手かも。変に緊張するし」
「そうかなあ。それにだって相手リンでしょ?ミク姉でもないのに、緊張する必要ないじゃない。なんでよ」
「んーと、さ」
「んー?」
「ミク姉だったら逆に仕事って割り切れるんだよ。めー姉でも一緒」
「うん」
「でもさ、リンだと」
「リンだと?」
「変に近いっていうか」
「近い?」
「おー。そう、近い」
「へえ…、そうなんだ」
「うん」
「―双子でもないのに?」
私の双眸は揺れることも無く、真摯に彼を映した。
レンが蒼の瞳を見開いてる。彼の時間は今止まっている。私だけが進んでいる。そうしてアシンメトリーは淀み無く完成されていくのだ。良いように形成されたと、こう言う時つくづく痛感して疼く。そう、双子なんかじゃない。だから、意識なんて本当は最初から繋がっていた訳じゃないの。とん、と調子を取って此方が一歩手前に歩んだら、振り返るのは此方の番。私の前髪が揺れる。あなたと同じ色。
「は、双子でもないのに、近い筈無い、でしょう?…ねえ、レン。私達にとって双子っていう事柄とても重要だよね。二人で一つという事実を顕著に表す語彙だもの、双子だからこその恋愛感情ともよく聞くし。それにそうね、絆と称された呪いは余りにも深遠」
「……鏡は?」
掠れた小さな声だったけれど確然とした響きを以て、その問いは形成された。なんだ。今更の事実だと彼も分かっているらしい。特段傷心している様子も気にしている様子も無く、何時も通りの笑みが湧いた。私もつられて笑う。
「愚問ね。鏡も同じことでしょう」
「ちょっと違うんじゃない?鏡だとリンがメインだろ」
「そうかな。メインじゃなくて、鏡のあちら側だからこそレンの価値性が出るんじゃないかなあ」
「ひっでー言われ様」
「ごめんごめん、褒めてるつもりなんだけどっ」
「わかってるって。ちょっと言ってみたかっただけ」
とん、と調子を取ってレンも歩み来た。隣合わせの私達。一緒。同じ。シンメトリー。対称。同一。同等。均整。均斉。
「…だから双子じゃないんだし、ましてや鏡のあちらとこちらでもない全くの別人だから」
「なあに」
「ラブソングとか緊張すんじゃねーの」
「恋も出来るって言いたいの?随分ロマンチストね。鏡音レンくん」
「誰のことだよ。鏡音リンさん」
「あはは。誰のこと?」
そう。私は鏡音リンじゃないし、彼も鏡音レンじゃない。彼の本当の名前なんて知らない。ただ私と彼が選ばれただけだ。彼に鏡音レンという名前が与えられたから私はそう呼んでいるだけ。私と彼が一緒に居るのも単にそれだけのこと。与えられたからそうしている迄。
私は彼のことは知らないし、彼も私のことは知らない。ただ鏡音リンは鏡音レンを知っているし通じているし同じであるし、鏡音レンは鏡音リンを知っているし通じているし同じである。それだけだ。生まれ変わったら?そんな下らない願い事を考えてみる。生まれ変わったら今度こそずっと最初から一緒にいようね、とか双子になりたいね、とか思わないけれどでも、もう少しだけマトモに出逢えてたのなら未だ良かったかもしれない。まだ、よかったのかもしれない。彼が又一歩進んでアシンメトリーは淀み無く完成される。振り返るレン。
私達はシンメトリーではない。そして結局先も足下も見えないのである。只管に在るのは私とあなただけ、
作品名:アシンメトリーにわらう 作家名:ハイドロゲン