君は俺の羅針盤
その一言に、その名前に、すべてを込める。
彼女は自分をこの世界にとどめる錨。いつでも戻るべき羅針盤。
でも、俺は行かなけりゃならない。
彼女は不安げに自分を見上げている。
「ごめん、俺、どうしても、もう一つやらなけりゃならないことがあるんだ」
彼女の瞳がうるんでくるのがわかる。俺は急いで言葉を次いだ。
「でも、咲のところにぜったい戻ってくるから」
彼女はうんと小さく頷きながら、でもやはりまだ不安げだ。
本当は思いっきり抱きしめたい。あの雨の夜のように、その唇に触れて自分の気持ちを伝えたい。
でも、周りをエデンの奴らに囲まれている俺としては、周囲の視線を一身に浴びながらそれは無理。さすがに、ね。
「じゃ、俺、行くね」
思い切るように走り出す。
決して「別れ」じゃないから。咲自身を救うためにも、俺は行かなくちゃいけないから。
でも、走り出した俺を、咲は、そんな力がどこにあったのかと思うようなエネルギーで走って追ってきた。そして俺の左手を思いっきりつかんだのだ。
勢い余って俺たちは転びそうになりながらも、お互いに支えあってどうにか転ぶのは回避できた。
「滝沢くん」
咲の瞳が俺を見上げる。その瞳はもう潤んでおらず、ただ強い意志をはっきりと宿している。こんなに強い視線をまっすぐに俺に投げる咲は初めてだ。いや、初めてじゃない。ニューヨークで再会したとき、記憶の戻らない俺に「わたし、ずっとあなたを探していたんです」と言った。あの時の咲の視線だ。
俺は言葉もなく、咲の目を見返した。
咲はすっと一歩俺に近づいて、その腕を俺の首にまわす。
(えっ!?)
一瞬とまどった俺の首を抱えるように自分の顔へ近づけ、唇を重ねた。
(咲っ!?)
ふっと息をはいて、唇を離した後、咲はまっすぐに俺を見ていったのだ。
「ぜったい、戻ってきて。約束だよ」
恥ずかしそうな、でも、真剣な、咲の顔。
俺は咲!と叫びたくなった。
「うん!!ぜ~ったい戻ってくるよ!!」
代わりにそう言った。咲は花が咲いたように笑う。
我ながら「ぜ~ったい」と力を思いっきりいれたのが子供っぽかったかな?と気恥ずかしくなったけど。
それくらい咲からのキスが、咲からの言葉が、嬉しかった。
俺と咲は微笑みながら、見つめあっていた。
俺はポケットからノブリス携帯を出して、咲の手に乗せる。
これが俺が咲のところに戻ってくる証拠だよ。
でもそんな説明は咲には必要ないんだ。彼女は世界中でただ一人俺のこと信じてくれている子なんだから。
「だから・・・」
「え?」
「もう一回お願いしていいかな?・・・キス」
「た、滝沢くん///!!」
「できれば、もうちょっと長いヤツ」
咲は顔を真っ赤にして、でも、まっすぐに俺をみつめて、顔を近づけてきた。俺はそんな咲の背中に両腕を回して、ぐっと抱きしめ、今度は俺から唇を重ねた。
咲。
本当は俺、咲にキスしたかったんだよ。
旅立つ前に君にキスして抱きしめかたったんだよ。
でも、みんながいたし、それにそうすると咲を縛ってしまうみたいで。
これから俺しばらく姿を消してしまうのに、咲を束縛してしまうみたいで。
だから咲が追いかけてきてくれて、咲からキスしてくれて、すっげー、嬉しかったんだよ!
しばらくキスを続けた後、俺は咲の体を離して旅立ちを告げた。
「じゃ!」
「うん!」
俺は片手をあげて、走っていく。
咲も片手をふって見送ってくれる。
だって別れじゃないから。それを二人とも知っているから。
二人がお互いにとって必要不可欠だってわかっているから。
俺も咲も、それぞれの戦いをするって、わかっているから。
君は俺の羅針盤。君が俺の世界の錨。
咲。
ホワイトハウスの前で初めて会ったときから、二人の旅は始まっていたんだよ。