ドラゴンの角
不安げな声でルーナが言った。俺は黙っていたが全く同じ気持ちだった。南北の塔を隔てる河は広く、それに対して風のマントはいかにも頼りない。
「やるしかないさ」
俺たちの不安をよそに、ロランはあっさり答えた。正論とはいえ、随分と思い切りのいいことだ。
少しだけ、羨ましいと思う。
そしてとても好ましいと。
「やれやれ、仕方ねぇな」
「そうね……こんな所で立ち止まってる訳にはいかないもの」
俺は努めて平静に、ルーナは思いつめたような顔で対岸を見た。
「サトリ、ルーナ、僕にしっかり掴まって」
風のマントを身につけたロランが手を広げる。決して豪華なものではない、けれどそれはロランの背を堂々と彩っていた。
彼は人の上に立つ資質を精霊ルビスに与えられているのだと思う。身分的には同等の俺たちだったが、ロランが旅の指揮を取ることに疑問を挟んだことは一度もなかった。むしろそれが当然なような気がしていた。
俺たちを気遣いながらいつも道を切り開いていくロラン。
魔物たちの攻撃から身を挺して俺たちを守るロラン。
ほとんどの魔物を一刀両断で切り捨てるロラン。
そのくせいつも俺たちの魔法を頼りにしているのだと笑うロラン。
羨望と嫉妬の境目は曖昧で、だけど俺が彼のことを嫌いになる日は決してこないのだろう。
「…………」
正体不明の違和感に、俺は二人にバレないようそっと胸を押さえた。最近、ロランの考えるとよくこうなる。何か大切なことを間違えているような気がして落ち着かないのだ。
「サトリ?」
ぼんやりしているように見えたんだろう、ロランとルーナが揃って俺を見た。
ロランは左腕でルーナをしっかりと抱え、ルーナは遠慮がちにロランの服の端を握りしめている。
釣り合いのとれた一組の男女。
胸のざわめきが大きくなったのを無視して、俺はロランのそばへ寄った。
ロランが右腕を俺の腰へ回す。衝動的にその手をたたき落としたくなった。
けれどどうしてそんなことを思ったのか自分でも分からず、戸惑っている内に完全に固定されてしまった。
力じゃ俺はこいつに敵わない。
「ちゃんと掴まって」
ロランの大きくて無骨な手が、俺の手を導いた。仕方なく身体を寄せて服を握る。
ロランの汗のにおい。
ムーンペタからずっと歩いてきて、野宿は何度かしたけれど満足に身体を洗えるはずもなく、そもそもこの塔にだって魔物が巣くっていたから戦闘を重ねてきていて。
ロランの汗と血と、それから金属のにおい。
……どうしたものか。
不快じゃない。
それどころか俺は、この匂いに包まれるのはどんなにか心地よいことだろうかとすら思っていた。
ロランの逞しい胸板に顔を寄せて。もっと近くで彼の気配を感じたいと。
あぁ、本当にどうすればいいんだ。
これじゃあ俺がロランを好きみたいじゃないか。
女がするように、彼に想いを寄せているみたいじゃないか。
「それじゃあ――いくよっ!」
俺とルーナを抱えたまま、ロランが塔から身体を投げ出す。強い風を感じたのは一瞬で、まるで魔法のように俺たち三人の身体は宙を舞っていた。
だけれど、俺の茹だった脳をさますのにはその一瞬で十分だった。
大河を眼下に、空を頭上に、ロランを真横に――うんざりするほどの青に包まれながら、俺は彼への気持ちを認めた。
俺はロランが好きだ。
いつからかは知らないけれど、ずっと好きだった。
もしかしたらリリザの宿屋で出会ったあの時から。
柔らかな風がロランの匂いを遠くへ飛ばしていく。
それを惜しんでロランの服を握る手に力を込めると、彼が小さく笑った。怖がっているとでも思ったのだろう。
別にそれでもいい。本当のことを知られるよりは。
俺はサマルトリアの王子で、彼はローレシアの王子で、俺たちは男同士だった。世間的にも許されない恋だ。
それ以上に、ロランに男同士で恋愛をするなんて発想があるとは思えなかった。
だからこの想いは墓場まで持って行く。
風に乗せて飛ばしてしまうことは出来そうにないけれど、心の奥底にしまい込むことぐらいは出来るだろう。
そうこうしている内に対岸についた。ルーナが髪を整えながらほっと息をつく。
ロランはからかうような瞳で俺の顔を覗き込んできた。
「怖かった?」
「バカ言ってろ」
誤解を解かないよう、軽口でごまかす。
違和感ははっきりとした痛みとなって胸を刺したけれど、今はそれを幸せなことだと思えた。