黒く余る
ヨイチとマジルを名前で呼びたいだけのページ。
あとちょっとした考察。備忘録のようなもの。
今回書きたかった話とは関係ないから読まなくて良いですよ。
たまに増えます。
40年後、ヨイチがマジルと友達になることを決めた理由。
ヨイチの口ぶりからすると「自分の年齢の秘密を知った人は、自分と友達になりたいとは思わないだろう」と思ってるように感じる。
それなのに、ヨイチの秘密を明かされたマジルが40年後に戻ってきたから、ヨイチは友達になることにしたんじゃないかと。
ヨイチの名前の漢字は「余一」かな、と。
他の方の意見であった「四一」も綺麗だとは思うけど、人の名前にしてはちょっと珍しい。
無難に「与一」でもいいよ。ただ、ヨイチは何も与えてないし与えられてないけど。
マジルはわからないけど無難にいけば「交」。
社会と隔絶されていたヨイチを、ほんの少しだけ交ぜた存在。
あるいは彼が交ぜっ返すことでヨイチは成長できたのかもしれない。
コヨミさんはそのまんま「暦」ですね。
今グーグル日本語入力さんが「恋詠」って字を出して来てはっとしたけどまぁ違うだろう。
マジルがヨイチに諭した言葉は、私の中では「これだ」というものができた。
タビュレーティングマシンを動かすための電力はどこから持ってきてるんだろう。
蓄電池でも作れるのだろうか。
まぁタビュレーティングマシンを自力で組み上げたようだから蓄電池ぐらい作れてもおかしくはないけど。
作中に出てくる話だけでこちらの手元で形を作ろうとするといろいろと矛盾というか無理が発生する件。
きついです。いちいち筆が止まります。
小林さんの手元では整合性が保たれてるんだろうなぁ。
マジルはちゃんと結婚して、息子を一人持っていればいいなと思う。
で、その息子にだけはヨイチのことを教えてればいいなと思う。
そこから先の一族は、わが子が小学生ぐらいの歳になったらヨイチのことを教えたり教えなかったりしてればいいと思う。
必ず教えなきゃいけない、みたいな掟みたいにはなっててほしくないけど。
そんな妄想。
ヨイチはたまに人里に降りてる派。
だってアレだけ長い年月生きてれば衣服だってなんだって全部消耗品だろうし、それらを全部自分だけでまかなってるとは思えない。
塩なんかは森の中で精製はできないだろうし。兎肉を食べようとしているからには塩も使うに違いない。
だから年に一度か数年に一度ぐらいは近場のいくつかの人里で買い出しするんじゃないかなっていう。
ヨイチが「うるう」の噂を知らなかった事の謎。
・ヨイチが森に人を寄せ付けないために故意にお化けの噂を流したわけではない。
・以前に誰かが森に住むヨイチの姿を見つけて、それをお化けと勘違いしたのか? →だったらすでに何度か森に捜査の手が入っていてもいいはず。
・大人たちが森は危ないからと嘘の「うるう」の噂を流していた森にたまたまヨイチが住み着いた →たぶんこれだけどいくらなんでもご都合主義すぎやしないか?
今まで、元があるものを使って創作するときには、元から逸脱しちゃいけないってそればっかりを気にしていたので、「元の設定にないけど創作上必要な部分」とかを無理やりごまかすことが多かったんだけど、ある人の小説を読んでいたら「原作のイメージさえ壊さなければ、自分の設定はしっかり作って肉付けしたほうが深みが出るのではないか」というところに行き着いたので、今後はそういう書き方をしていこうかなと思った。
きっかけになる小説を見せてくださったKさんに多大なる感謝を。
一部が客観的に読めない。
校正のつもりで読んでいるのに、いつの間にかのめり込んでいる。
そういう経験はたまにあるけど、ただのナルシズムだと思っている。
が、今回はちょっと違って、その部分を読んでいると喉が詰まる。
こういう、勝手に感情を動かされる経験はそうそうないので、自己陶酔もいよいよそこまで行き着いたのかと非常に嫌気が差している。
それともこれはあの人の実力のおかげなのだろうか。自分の文章から、元ネタにまで思考が飛んで、そのおかげで感極まっている?
そうだとしても、「自分の文章からあの人を感じられる」だなんてよっぽどの自己陶酔。
この真実を知るには、他人の目に晒すのが一番いい。
お願いです。この気持ちが自己陶酔ではなく、本当に私の書いた文章が良いからだと、私の書いた文章に彼の人の香りが乗り移っているのだと、証明してください。