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指先から伝わる

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「直斗」

 1年の教室で聞こえるはずのない声に呼ばれて直斗は顔を上げた。一瞬聞き違いかとも思ったが、教室内を見渡して入口に立つ人物と目が合って、ようやくさっきの声が気のせいではないことを知る。
 彼の姿を認めた途端、直斗は思わず片づけ途中の鞄を放り出して駆け寄った。自分より頭一つ分ほど高い高槻を見上げて首を傾げる。

「先輩、どうかしましたか?」

 事件のことなど用事があって直斗を始めとする、完二やりせの一年生が高槻のクラスに顔を出すことはある。けれどもその逆はあまりない。
 もしかしてテレビの中に行くべく、誘いに来たのだろうか。
 この地域を騒がせている事件が、世間的には解決と思われているが実際はそうではないことを直斗も、そしてもちろんこの目の前の人物、高槻も知っていることだ。
 でもただテレビの中に行くのなら、別にわざわざ直接誘いに来なくても、メールさえくれればジュネスに行くのにと思っていたら、高槻の口から出てきた言葉はその予想とは違っていて直斗は目を丸くした。

「直斗さえ暇なら、一緒に帰ろうかと思って」
「え……」

 何も一緒に帰るのは初めてではない。怪盗Xの一件のときは何度も下校を共にしていた。
 けれどもそれは彼と特別な関係になる前の話で、付き合い始めてからは初めてだったから戸惑った。

「昼に今日は掃除当番じゃないからって言ってただろ? だから誘いに来た」

 お昼はお弁当を作ってきたからという彼の言葉に甘える形となった。確かにそのときの会話の流れでそんな話をした覚えがある。何気ない会話だったのだけど彼はしっかりと覚えていてくれていたらしい。

「用事があるなら俺一人で……」
「な、ないです! ちょっと待っててください。すぐに荷物取ってきます!」

 いつまでも返事をしないから都合が悪いと判断したのか残念そうな表情を浮かべる高槻に、直斗は慌てて首を振って踵を返した。
 そんなに慌てなくてもいいのにと苦笑する声が聞こえたが、せっかく来てくれたのに待たせたくないという気持ちの方が大きくて。机の上にまだ広げたままにしてあった筆記具を少しだけ乱雑にカバンの中にしまうと、直斗は教室の入り口で待つ高槻の元へと戻った。

「お待たせしました」
「大して待ってないよ。それじゃあ、帰ろう」

 僅かに弾んだ息を整える直斗の頭をぽんぽんと叩くと高槻は先を促すように歩き出す。
 帰り道は本当に他愛のない話ばかりをした。好きな本の話だとか、今日学校であった話だとか。会話は途切れることがなくて時間を忘れるほどだった。
 けれども騒がしく喋りながら直斗達を追い抜かしていく同じ八高生の二人組の背中を何気なく見つめていて、あることに気付く。
 自分達が周りの人間よりもゆっくり歩いているのだということに。
 小柄な直斗と身長が高い彼とでは歩幅は全く違う。それなのに高槻の隣を歩くのが苦ではないことを考えると、彼が直斗の歩調に合わせてくれているということになる。
 なんだかそれが嬉しくもあり、恥ずかしくもあって直斗は自然と俯いてしまった。帽子の鍔を下げて、真っ赤になってしまっているだろう顔を隠す。
 その間にも高槻は話しかけてくれていたが、先程までとは同じように返事をすることはできなかった。彼の言葉は耳を素通りして、曖昧な言葉しか返せない。
 心地よかったはずの時間も今は真逆に感じるほどだ。
 直斗にとって他人と過ごすのはいつも事件絡みのときばかりで、こうしてプライベートで、しかも二人きりとなる状況などまずないと言ってもいい。そしてその相手が恋人となると尚更で、意識しないでいられるはずもなかった。
 それだからか、いつの間にか会話が途切れていたことにも、高槻の視線にも気付くこともなかった。

「……!」

 空いていたはずの右手に突然触れた温もりに直斗は弾かれたように顔を上げた。そこには柔らかな笑みを浮かべる高槻の顔があって、直斗は半パニック状態のまま彼を見つめた。

「やっと顔上げた。直斗、急に俯いたから。こうすれば顔上げるかなって思って」

 でもまあ、手を繋ぎたいとはさっきからずっと思ってたんだけど。
 そんなことを言われて、直斗の顔が更に赤くならないわけがなかった。何かを言うために口を開いたもののどれも言葉にはならなくて、ならばせめて顔を隠そうと思ったのだが、左手に鞄、右手には高槻の手というように両手は塞がった状態で思うようにならない。

「嫌だった?」
「い、いえ! 嫌じゃないです、嫌じゃないんですけど……」

 だんだんと小さくなっていく声。ドキドキしてしまってもう顔すら合わせられなくなってしまう。
 それならこのまま帰ろう、と彼の笑う気配がした。
 冬空の下。こんなにも空気は冷えているのに、繋がっている右手がやけに熱い。心臓もいつも以上に早くうるさいくらいの音を立てている。掌から彼にこの騒がしいくらいの心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。
 どれくらい歩いた頃だろうか。次第に落ち着きを取り戻した頃、いつの間にかさっきまでの居心地の悪さが嘘のようになくなっていた。
 直斗の手を包み込むほどの大きな手。
 それは明らかな男女の違いを実感せざるを得なくて、前までの直斗ならこの手を振り払ってしまっていただろう。けれども今は逆にそれが安心できてしまい、この手に全て委ねたくなるほどだった。
 もういっそこのまま時が止まってしまえばいいのに。
 いつまでも繋いだ手を離したくなくてそんなことを思いながら、家までの短い距離を二人で並んで歩いた。
作品名:指先から伝わる 作家名:リツカ