Promissum
「──童虎よ。出来れば今しばらく語り合いたかったが……」
「……なに、すぐまた会える」
「そうだな。243年も待ったのだ。今しばらく待ったとしても苦にはなるまい」
童虎の言葉に、シオンは静かに微笑んだ。
火時計に点った最後の炎が揺らめき、暁の光の中に消えていく。
それと共に、背中越しに感じていた彼の気配が、細かな光の粒子となってゆっくりと大気に溶けていくのを、童虎は振り返らずに見送った。
「……また会う時まで──さらば、友よ……」
Promissum
この時代におけるハーデスの依り代が、他ならぬ女神の兄アローンだったこと。
そのアローンに、幼馴染の天馬星座が討たれたこと。
これらの事実を女神に報告することは、童虎とシオンにとって辛い仕事だった。
心優しい戦女神は二人をねぎらい、また気丈にも、冥王軍の侵攻に向けて備えるよう指示を下したが、その胸中は如何ばかりかと慮らずにはいられない。
女神神殿を退出し、十二宮の石段を言葉少なに降りてきた二人は、自分達の無力さに打ちのめされていた。
「──寄って行かぬか?」
天秤宮まで来た時、童虎はシオンを振り返った。
「……童虎」
「どうした?」
「…………」
シオンはその端正な顔に沈痛な色を浮かべたまま、長い睫毛を伏せた。
「許せ、童虎」
「……シオン……?」
「天馬星座はお前の弟子だった。あの場で仇を取らせてやれなくて、すまない」
ハーデスを守るように現れた冥闘士、輝火と闘っていた童虎に一時撤退を強いたことを、シオンは詫びているのだ。
天馬星座も一角獣座も、瓦礫の中に見失ってしまった。
「シオン、謝るのはわしの方じゃ。あの時お前が止めてくれねば、更に多くの犠牲者を出すことになったかも知れん」
「童虎……」
「すぐに頭に血が上ってしまうのは悪い癖じゃな。お前が冷静でいてくれるお陰で、何度助けられたことか。礼を言うぞ」
「……だがせめて、遺体だけでも連れ帰ってやりたかった」
「わしとて無念じゃよ。特にテンマはわしにとって、弟みたいなものだったからな。だが、女神様のお気持ちを考えたら、わしばかりが悲しんでいる訳にはいかぬ」
「……童虎……」
「テンマや耶人の分まで、わし等が女神様をお守りせねば。だからお前の判断は間違っておらぬよ、シオン」
時に冷徹とも思えるほどの決断を下すシオンだが、本来の気質は情に厚い。
自分より年若い青銅を助けられなかったことに、自責の念を感じているに違いなかった。
あの時自分が、テンマの死に逆上して冷静さを欠いたばかりに、友だけに辛い選択を押し付けてしまったことを悔いるばかりだ。
「──お前に頼みがあるのだ、シオン」
「何なりと」
「もしも、わしに何かあっても躊躇わずに行ってくれ」
「童虎!縁起でもないことを言うな」
「例えばの話じゃ。だがわし等は聖闘士、戦場ではいつ何が起こるか判らぬだろう」
「……それは、そうだが……」
「わしは犬死はせんつもりじゃ。命を賭けて活路を見出そう。そんな時後を託せるのは、シオン、お前しかいない」
「…………」
「頼まれてくれるか」
「……私だけにそんな約束をさせるな」
「なに?」
「お前もだ。もしも……私が先に逝くようなことになっても、決して振り向くな」
「シオン……」
「誓え、童虎。私とて──お前と同じ思いなのだから」
「……あの時、お前も泣いたか?シオンよ……」
ハーデス城で、童虎は敢えて冥王に勝ち目なき闘いを挑んだ。
無論神の力に敵う筈もなく、ハーデスの剣に刺し貫かれたが、その隙にシオンはテンマとユズリハを連れ、テレポートで城外へ逃れた。
示し合わせたのではない。
あの時の二人にとって、あれが死地からテンマを救う為の、最善にして唯一の策だったに過ぎなかった。
去り際のテンマの絶叫は耳に残っていても、シオンがどんな顔をしていたのか、自分は見ていない。
ただ遠のく意識の中で、約束を守ってくれた友に感謝し、自分がいなくてもシオンならきっとテンマを導いてくれるだろうと思っていた。
師ハクレイを喪ったばかりの彼に、更なる重荷を負わせてしまったことに気付いたのはもっとずっと後になってからだ。
ロストキャンバスで再会するまでのひと月、シオンがどれほどの思いで闘っていたか、我が身になぞらえれば知るは容易いことだった。
「あれから243年も経って、わしもあの時の約束を果たすことになろうとはな……」
最後の最後まで、頑なに約束を果たそうとした自分達だった。
これから向かう場所が今生のハーデス城とは、運命の悪戯だろうか。
「──行って来るぞ、シオン」
光の粒子が一つ舞い降りてきて、童虎の手のひらの上で儚く消えた。
「次は、冥府で会おう」
FIN
Promissum/約束
2012/2/29 up