やさしいうそ
懐かしい、と感じたところで異変に気付く。そう、この音は、懐かしいのだ。
完全に浮上した意識のもと、がばりと上体を起こす。はっとして見渡せば、そこは紛れもなく俺に割り当てられた部屋だった。ただそれは、4年も前の話だが。
(なんだ、これは…?)
夢か。いやそれにしてはおかしい。募っていく違和感は、己の掌を見た瞬間に確信に変わった。
左右に広げられたそれは、どう見ても幼い。めいっぱい関節を伸ばしてもそれは変わらなかった。次に己の服装を確かめてみる。タンクトップ1枚にスラックスと、4年前の自分がよく着ていた就寝時の格好だった。
(どういうことだ…?)
どれだけ周りを見渡しても、今の自分の面影があるものはどこにもない。
呆然としていたら、先程から鳴り響いているコール音がやっと耳に届いた。
俺を呼んでいるのは誰だろう。いや、そもそもここはどこなのか。あの――4年前に俺が居た、トレミーなのだろうか。
呼ばれるがままに床に足をつけた。身体のすべてのパーツが小さく、視点の低さに少し戸惑う。
跳ね上がる鼓動を抑え付け、この扉の向こうに何があってもいいように身構えながら、ドアのロックを解除する。
スッと開かれたそこに居たのは、あまりにも見慣れた人物だった。
「やっと起きたか、寝坊助」
くしゃりと紙を潰したかのような笑顔を綻ばせて立つその人は、ロックオンだった。
変わらないその姿に、声が出ない。反応出来ずにいると、ロックオンは、ん?と首を傾げた。
「まーだ寝惚けてんのかぁ?」
うりゃ、と頭を押さえつけられ、わしゃわしゃと髪をかき回される。揺れる視界が嫌で、咄嗟に振り払った、あとで、後悔する。
だが見上げたロックオンは相変わらず、起きたか?と笑ったままだった。
「…ロックオン」
「なんだ?」
「ロックオン…なのか?」
「は?」
さすがにロックオンも違和感に気付いてきたらしい。さっきまでのふざけた調子は影を潜めて、少し真面目に訊ね返される。
「どうした、刹那?」
仕草も何もかもがあのままで、これは現実なのだと思い知らされる。
ほんの少し、絶望にも似た感情が心を覆った。
「お前は…ニール・ディランディなのか?」
はっきりと、目の前のロックオンの顔色が変わった。
息を呑む音がして、呆然と、声を落として憚るように告げられる。
「どうして、それを」
「やはり、」
お前なんだなと、目を伏せた。どうしてこうなったのかはわからない。だが目の前に立つこの男は、あのニール・ディランディなのだということだけは確かだった。
「中に、入ってくれ」
さすがにここで話せる内容ではない。促すと、彼は黙ってそれに従った。
頬杖をついて聞いていたロックオンは、急にハァと大きな溜息を零した。
「つまりお前は未来の刹那ってことか?」
「そうだ」
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てられた言葉はもっともだ。俺だってそう思っている。だが事実、俺はここに居るのだ。
「仮に、仮にだ。百歩譲ってお前の言ってることが本当だとして、じゃあ今の刹那はどこに居るんだ?未来か?」
「わからない。この身体は…昔の俺のようだが」
「どっからどう見たって普通の刹那だよ」
呆れた様子で言われ、少し言葉に詰まる。
「寝惚けてるわけじゃ、ないんだろうなァ?俺をからかおうとも」
「そんなことをして何の意味がある」
そう言うと、ロックオンは口を閉じた。何か考えているのだろうか。無言で俺を見て、静かに切り出した。
「…未来の俺は、お前に本名を名乗ったのか?」
「…あぁ」
現実には、少し違う。トリニティによって暴露された。だがその事実は言わない方がいい気がしたのだ。
察するに、今このときは恐らく武力介入を開始して間もない時期だ。何が起こってもおかしくはないこの状況で、少しでも俺の知る未来が変化する可能性があるのなら、回避したい。先程から明言を避け、言葉を濁して説明してきたのはその為だ。
ロックオンは、ふっと鼻で笑うと独り言のように呟いた。
「お前に秘匿義務があるとか言っといて、俺も駄目だな」
言葉を返せなかった。今でもはっきりと覚えている。あんな風に殴られたのは初めてだった。思えば、俺はあんたの弟にも殴られた。あんたたち兄弟には殴られてばかりだと、そしてそんなことばかりしている自分が少しだけ、可笑しく思える。
「なぁ刹那」
「なんだ?」
「そっちの世界じゃ、みんな元気にやってるか?」
あぁそうだと、一言返せばいいだけなのに何故だか躊躇してしまった。
元気かどうかはわからないが、生きている。死んでしまった者の為にもと、みな必死になって生きている。お前が知らない人も、たくさん居る。そうだ、新しい仲間が増えた。歪んだ世界は未だに変わり続けている。デュナメスの後継機にはお前の弟が乗っているのだと言ったら、どんな顔をするのだろうか。俺は変わったのだと。お前の言葉で変われたのだと言ったら、お前は。
「刹那?」
ロックオンの顔が滲む。
どうして死んでしまったのか。お前は、なぜ。
「どうした?どっか痛むのか?」
泣き崩れる俺の肩にロックオンが手をかけてくれた。その手が暖かくてまた涙が零れる。
「げんき、だ」
「刹那?」
「みな、元気にしている。世界は、変わった。俺たちの変革は成功した。戦争など誰もしていない。世界は、」
綺麗だと。
言う前に抱き締められた。そっと腕が回され、労わるように包まれる。その温もりに驚いていたら、耳元に小さく、よかった、と、掠れた声が届いた。
あぁよかった。そんな世界なら、よかった。お前が生きていれば、よかった。
悲しさで苦しくなる。
俺はロックオンの腕を掴んで、泣いた。このまま尽きればいいと思いながら、強く泣いた。